rinshunn’s blog

京都、栃木、ときどき哲学。

こんちきちんの夏

バイトの研修が終わり大通りに出ると、帰り道に交通規制が敷かれていた。

 

京都という街は悠長なもので、100万人以上の人口と1億人以上の観光客を抱えているにもかかわらず、きわめて気軽に交通規制が掛けられる。しかもその辺の小路ではなく、主要な大通りが突如として機能を停止させられる。交通規制が掛けられる理由は、大きく3つに整理できる。「皇族」「マラソン」そして「伝統祭礼」だ。今日の渋滞がどれによるものかは、火を見るより明らかだ。祇園祭である。

 

宵山山鉾巡行をもって「祇園祭」だと理解している人がたくさんいるだろうが、祇園祭とは「祭礼」であって「お祭り」ではない。祇園祭っていつからいつまでなんですか?という質問に正確に答えるなら、7月一杯そうですよ、ということになる。

 

7月17日の山鉾巡行が、前祭のクライマックスだ。京都の市内を「山鉾」と呼ばれる山車が曳かれて回るわけだが、当然あんなでかいものを動かすのだから、動作テストが必要になる。それが12日の「曳き初め」と呼ばれる行事で、私が遭遇した人混みの理由である。

 

巡行の様子は中継で見ているし、そもそも車輪が付いているのだから動くというのは理解している。しかし、曳かれているところを間近にしたのは7年住んでいて初めてだった。車の前面に号令役が立ち、そのかけ声と扇の上げ下げに合わせて、町衆と住民が綱を引っ張っている。車の上部は櫓のような構造になっていて、お囃子方が例の「コンチキチン」を生演奏している。もちろん、関わる全員が血統正しき京都人である。

 

四条通を歩いていると、「◯◯鉾保存会」と看板の出た、何ら活動の気配のない事務所を見かける。京都の一等地に居を構えながら、このテナントが活用されるのは、7月の1ヶ月間だけだ。建物の2階からは山鉾との間に橋が架けられて、お囃子方や観光客が櫓に出入りできる仕様になっている。近代的なビルであろうと、古風な木造家屋であろうと、鉾の高さが建築基準である。

 

バス停からはミストが吹き出ている。25度を超えると機能する、という仕掛けで、見た目には爽やかだが「クソ暑い」という物理的事実を告げ知らせるものでもある。正気を疑う人混みが、不意の観光のワクワクから日常へと連れ戻してくれる。来るときに乗ったバスを待っていたら、「経路変更中だからここには来ない」と告げられた。「国民の生活が第一」というキャッチコピーがあったが、京都で優先されるのは、なににも増して「京都であること」なのだ。

 

ソクラテスの牛丼

彼女と牛丼屋はアリかナシか、という哲学上の難題が存在する。

  

「おひとりさまでどこまでできるか」と同じく、「彼女とご飯はどこまで許容されるか」ということについては、21世紀に入ってもなお、統一した見解が得られていない。こと「牛丼屋」に関して言えば、「行くわけがない」という独断論者、「行ったっていいじゃん」という自由主義者、そして「それではまず彼女を用意してください」という一休さんまで、主張する人の数だけ答えが存在する。

 

独断論者の主張は鵜呑みにできないし、自由主義者にしろ、積極的選択肢なのか消極的選択肢なのかで話は異なる。さりとて一休さんのとんちも、ここでは答えを用意してくれない。ここで必要なのは、「牛丼屋とは何か」と問わずにはいられない哲学者の声であるに違いない(違う)。

 

身の回りではどうやら「行く」という回答が多かったようだが、ここが東京都港区ではなく京都市左京区であることは考慮に入れねばなるまい。交差点の真ん中で雀卓が囲まれるような土地と、マンションの何階に住んでいるかでデュエルしている街とでは、おのずから民族性が異なる。

 

ただ、不思議なもので、彼女とは行かないという人でも、自分ひとりならむしろよく使っていたりする。牛丼屋それ自体が問題なのではない。彼女と行く選択肢としての牛丼屋、それが問題なのだ。

 

彼女と行く場所に、みんないったいどんなことを求めているのだろう。価格が問題か?いや、たぶんそれも違う。価格が問題なら、独断論者はマ◯クやス◯バは使わないのだろうか。使う価格で言えば、牛丼もハンバーガーもさして変わらないのだから。では、雰囲気はどうか。これはなかなかよい論点かもしれない。だったら、意識の高い内装の牛丼屋があったなら、デートスポットとして成立するだろうか。そう言えば、味は普通なのに内装がオシャレでやたらとはやっているラーメン屋があったような……。結局、なにごとも「見た目が9割」という、身も蓋もない結論が見えてしまった気がする。

 

しかし、外見至上主義の専横に任せるのはいかにも許しがたい。なにごともイケメン、と言われてしまっては私の立つ瀬が無いではないか。

そこで、最後に私なりの見解を示して、今は筆を擱こうと思う。

 

「自分で作れよ、捗るぞ」

 

 

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

 

 

四半世紀のスケッチ

関東での説明会が中途半端に差し込んで、1週間ばかり帰省することにした。

 

 

午前中には京都を発つつもりだったのに、目が覚めてみると時計はとうに12時を過ぎていた。荷造りもままならぬのにテレビなどに気を取られて、駅へ向かったのは14時半ごろだった。

 

日曜の、しかも午後だ。この人混み、7年目になっても自然と眉間に皺が寄る。週末が終わり、観光客はそれぞれの日常へと指定席で戻っていく。思いつきのようにして田舎へ帰る学生に、割って入る隙があるだろうか。不安とめんどくささで、そのまま下宿へ引き返したくすらなる。予想に反して、窓口で手配されたのは20分後の列車だった。窓際ではありませんがよろしいですか?と言われたが、どうせ寝てしまうのだ。そんな贅沢は言わず、さっさと帰るに限る。

 

京都から名古屋が40分ほど、そこから新横浜までが1時間半あるかないか。検札が済めば、あとはネックピロー、アイマスク、耳栓の出番だ。上りは終点だから寝過ごす心配がないし、だいいち、7年も行き来しているおかげで、上りは小田原、下りは三河安城できっかり目が覚めることになっている。

 

東京は雨こそ降っていないらしいが、すがすがしいとはお世辞にも言えない。この街を目的地とする機会も増えてしまったが、やはり私には、乗り換えの数分でも十分すぎるように感じる。

 

父の車に拾われ、実家に着いたのは20時になろうかというころだった。リビングでゴロゴロしていたサリーが、しっぽをモフモフして出迎えてくれる。かわいい。これで帰省の目的の半分は終了している。

 

私の部屋はそのままにしてあるので、当然寝るのも自室のベッドということになる。いつまで経っても息子だなと思うが、実際息子なのだから今はどうしようもない。狭い部屋のうち2面半が書棚で、小さい頃に集めた車のカタログから参考書まで、品揃えは至って雑多だ。今でこそ親の言うところの「難しい本」ばかり読むようになったが、進学で地元を離れるまでは、むしろ小説やエッセイのたぐいを好んでいた。と言ってもラインナップは国語の便覧に出てくるような鉄板ばかりなので、「文学青年」などとはお世辞にも言えない。

 

何とはなしに北杜夫の『母の影』を手に取り、軽く目を通すつもりが1冊を読みふけってしまった。文体やリズムの作り方といい、やっぱり自分はこの人の影響をだいぶ受けているなと感じる。中学時代は、とにかく北杜夫遠藤周作をくりかえしまきかえし、何冊も読んでいた。物書きになろうか、と思ったこともある。結局そのような進路は歩まず、文体だけが昔のままで残っている。もっとも、読書量が多かった昔の方が、言葉の感覚はまだマシだったようにも感じるが。

 

自分の原点に思いがけず触れ直したら、文章を書いてみたくなった。図らずも今日は、私の25歳の誕生日でもある。遠くに来てしまったのか、あるいは余り変わっていないのか、いずれにせよ、文章を連ねる楽しさだけは、15歳の私と同じでいられるように感じる。

 

 

母の影 (新潮文庫)

母の影 (新潮文庫)

 

 

 

夜と霧の隅で (新潮文庫)

夜と霧の隅で (新潮文庫)

 

 

珈琲序説

駅と無く、観光地と無く、土産物屋の軒先は「京◯◯」という名のお菓子で一面の抹茶色だ。

もちろん、京都が茶どころであるのは間違いない。そして、抹茶などを嗜んだり飲んだりする機会も、他の地域に比較すれば多いのかもしれない。

しかし、この街に住まう人たちは、「コーヒーにトースト」という、存外にハイカラなライフスタイルを好んでいる。

 

 

寺社仏閣の香の香りばかりが、京都の匂いではない。大通りと言わず路地と言わず、一休みしようかという頃合いには、すかさず素敵なコーヒーの香りがする。

 

オシャレで綺麗なお店もあれば、建物がもはや文化財のような老舗もある。もちろん、スタバやドトールといったチェーンだって、町中至る処にある。もとい、宇都宮にだってあるものがここにないということもないだろうが。

 

 

老舗ともなるとお客の方も年季が入っていて、店によっては「常連さんエリア」らしきものが暗黙のうちに設けられていたりする。早いところだと朝の7時とかから空いていて、常連さんが「いつもの」椅子に座り、モーニングセットを食べている。暗黙のルールを破らないよう、いくら空いていようとも、とりあえずは店員さんの案内を待つのがよそ者にとっては賢明だ。神社仏閣と違って、喫茶店は京都人の生活空間でもある(寺が生活空間だという知人もいるけど)。

 

 

読まねばならない文献の数だけ、自然と喫茶店詣でも捗る今日この頃である。

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

 

孤独な夢想者の散歩

交通費を浮かす窮余の策で、四条河原町からの帰りを歩くことが多くなった。

 

 

歓楽街に始まり、文教地区に至る。30分と少しの道のりだが、流れていく風景には、この街のすべてが映っている。クルマ社会で人生の大半を送ってきたけれど、いやそれだけにだろうか、「京都は歩いてこそ」と強く感じる。

 

 

「北上して東へ」という単純な道のりにも、様々なプランがある。素直に四条通を一気に東に出て、そのまま東大路通りを北上しても別に構いはしない。だが、わざわざ歩いて帰るには、正直趣きに欠けている。歩くのなら、歩くなりの意味がある道を選ばなくてはならない。

 

静かに穏やかに帰りたい日は、鴨川沿いに北上し、丸太町通を超えた適当なところで東に入るに尽きる。

桜の季節であれば、左岸へ渡って、京阪の真上を歩くのがいい。出発してしばらくは、右手に花街の風情も愉しめる。ただ、川沿いの心地よさを味わうなら、しばらくは右岸を進み、荒神橋あたりで渡りたい。道幅が広いわりに夜は人も少なく、景観は川を越えて東山連峰へとひらけている。私は川の左側の住人だが、散歩道としては、右側に軍配を挙げたい。

 

 

いろいろなものが見たい日は、敢えて高瀬川沿いに木屋町通を抜けていく。

3mごとにキャバ嬢とすれ違い、1mおきに客引きが声を掛けてくる。水商売、酔っ払い、その中を押し通るタクシー…夜の木屋町にあっては、むしろ素面と正気の人を見つけるほうが至難の業だ。せめて煙草ぐらいはふかしておかないとサマにならないかなあなんて考えるが、そんなことをしても、田舎者の野暮ったさに拍車をかけるだけのことかもしれない。いろいろな意味で、歩いている私は、興とも狂ともつかないこのカルチャーの外に立っている。

三条通を越えると徐々に店構えも落ち着きを取り戻し、二条通まで来ると、高瀬川が鴨川に合流した途端に「リッツカールトン」などと澄まし顔を決め込むようになる。あとは鴨川に沿って、静かで穏やかな道のりが待っている。

 

 

京都も今年が最後なのに、こう素敵なところばかり感じられては別れるに別れられなくなってしまうそうだ。

孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫)

孤独な散歩者の夢想 (新潮文庫)

 

 

千年の愛人 —田舎者と7年目の京都—

 さて、愛人というのは身分なんだろうか、それとも、職業なんだろうか。そもそも、いつごろからある言葉なんだろうか。

 

 

 「妾」という日本語もあるし、そもそも「愛人」は中国語では「恋人」という意味の言葉だ。これはなんだか変だ。

 

 

 いや、今は「愛人とは何か」について話したいわけではない。そもそも私が何を語れるわけでもない。30年後くらいにもう一度考えることにしよう。

 

 

 開花の遅さが幸いして、今年の桜はなんとか入学式に間に合った。普段ならちょうど春休みのあたりで見頃を迎えるのだが、観光客のみなさんには可哀想なことだと思う。

 

 

 京都に住んでもう7年目を迎える。人生の1/4以上がここで過ぎていったわけだが、この街への感情というものは一貫して、曰く言いがたい。

 

 正直、骨を埋める場所とは思えないが、一刻も早く出たいとも思えない。そろそろ暇乞いを、と思うやいなや、この街の澄まし顔は不意な流し目を送ってきたりする。

 

 だからと言って、いつまで経っても私はよそ者でしかないのだ。京都人たるには「6世代以上在住」という厳しい条件が課されている。ローマ帝国だって、25年兵役を務めれば属州民に市民権を付与したというのに。滋賀県民が何百年水を提供しようと、彼らが京都人となることはないのである(ちなみに琵琶湖からの取水口は当然滋賀県側にあるが、疎水含め全て京都市水道局の管轄となっている)。それは分かっていても、どうせならあともう少し、眺めていたい気が沸いてきてしまう。

 

私にとって、京都はそんな街である。

 

 

 素敵な喫茶店(断じて教えない)がたくさんあったり、気の利いた散歩道(断じて教えない)が身近にあったり、流し目に釣られて、この春もふらふら出歩いている。この街と自分とはどんな関係なんだろう、などということが頭をよぎったとき、いちばんしっくり来た答えが「愛人」だった。

 

 「友達」というほど気軽な相手でもないし、「家族」「恋人」などというほど近しくもない。さっき言ったように、この街は私を心から受け止めはしないだろう。でも、片思いというほど一方的な間柄でもないとも思うのだ。この街の良さは私に対して閉ざされているわけではないし、そして、受け止めないわりには、相性よく楽しく時間が過ごせる。とすると、私は京都「で」ではなくて、京都「と」散歩し、そしてコーヒーを飲んでいたのかもしれない。なんと贅沢な経験であることか。

 

 

 しかし、おそらくあと1年のうちには、この街とも別れなくてはならない。哲学の道を散歩するのは楽しいけれど、このまま歩き続けると、数年以内に文字通り骨を埋めることになる。「自らの生の促進は人間の完全義務である」とカント先生もおっしゃっている。なまくらな弟子が1人いなくなったところで、教えには忠実なのだからカント先生も怒るまい。

 

 

 コーヒーのフィルターが切れたのでコンビニへ出かけたら、鴨川へと続く西向きの道に、遠く薄紅色がさしていた。

 

 こういうことをしれっと、抜き打ちでしかけてくるのだ。

 

 本当に京都は、ずるい。 

寝たけれども寝たけれども

ねないこ、だれだ?

私である。

 

 

コタツだの学部棟だのでは自由自在に意識を飛ばせるのに、どうしてベッドという本来寝るべき空間ではなかなか寝付けないのか。

気になって夜も眠れない。

 

 

寝付きが悪い癖に、寝始めると長くて、しかも睡眠不足が露骨にパフォーマンスに影響する。挙げ句に夜型で、気が付けば時計が12時を回っている。そんなもんで、予定のある前日にどう寝るかはまさに死活問題だ。

 

 

いよいよ困って、先日、「ヨガで睡眠導入」というのをウリにしたアプリを落としてみた。最近は瞑想がトレンドらしいし、たまには流行にも乗ってみるのも悪くない。

ヨガだからといって絶食したり口から火を噴いたりということを要求することはなく、することといえば、布団に寝っ転がってただただ音声の指示に従うだけ。簡単で良い。簡単なストレッチから始まり、あとはイメージトレーニングをひたすらこなしていくというメニューである。

 

部屋の灯りを落とし、枕元にスマホを置き静かに横になる。時間は既に深夜2時を回っている。

オリエンタルなBGMとともに指示が流れてくる。察するに脱力して呼吸を静かに整えることが効能のメインなんだろう、と、お姉さんの指示通りに意識を背中やらまぶたやらに向けながら思う。つまりは一切集中できていない。

 

 

それくらいならいいのだが、中盤になって、お姉さんの声が一言。

 

「あなたの存在の本質へと意識を深く向けていきましょう」

 

「存在」…「本質」…「意識」…落ち着きかけた思考が、うなりを上げて駆動しはじめるのが分かる。あなたの存在の「本質」って何…そしてその「存在の本質」へ意識を向けている「私」は誰なんだ?ああ、もやもやして寝られない…

 

 

多文化共生の時代、ヨガアプリにも「哲学徒」という可能性を踏まえた開発が求められる。