寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

くにへかえる

自分に対するはっきりとした、ただしそれだけでしかないふわふわとした自信を顔にみなぎらせて、ハイティーンの子らがキャンパスをバス停やタクシーの列へと歩み去っていく。その少し後ろを、わが子の価値を信じて疑わない大人が、距離をはかりかねるようにしてついていく。

京大の二次試験が、ちょうど終わったところらしい。

 

 

8年住んだアパートも、もうあと数日で引き払わなければならない。書き物机やベッド、アルミラックと、処分したそのぶんだけ、慣れない広さが大きくなっていく。

近所の物件にも、さっそく内覧が入っているらしい。アメリカのシットコムを垂れ流しながら片づけを進める向こうから、部屋の説明と相槌の声が漏れ伝わってくる。この部屋も来月には、また誰かの生活で満たされていくのだろう。それならばもう少しきれいに使えばよかったな、と、台所の油汚れを眺めながらほんのり後悔する。

 

洗濯機がなくなり冷蔵庫がなくなり、文字通り何も無い部屋で夜を明かすのがつらくなってきた。市内のホテルをおさえて、もうこれ以上、あそこが自分の生活の舞台になることはない。

 

ワンルームのありふれた部屋が、パーティールームになったり、会議室になったり、あるいは修羅場になったりもした。大学にほど近いこの家で、いったいいままで何人を迎えたことだろう。その知人の多くが京都を去り、ここ数年は来客もまれになった。そしてとうとう、今度は私もここを出ていく。

 

「なんだかんだ、Sさんは京都に戻ってくると思うよ」

先日飲みに誘ってくれた元同僚が、帰りがけに私に向けてこんなことを言った。

 

18年住んだ街と部屋に、8年分の書籍と経験をたずさえて戻ってきた。

京都はすでに過去のこととなりつつあるが、住んでみれば確かにここが都になるのかもしれない。

ハンドルをにぎれば

相手の本性を知りたいのなら、ドライブに誘うに限る。

ハンドルを握るその立ち居振る舞いに、その人のすべてが現れるからだ。

 

 

京都で取得し栃木で磨かれた私のハンドルさばきは、それぞれの薫陶を受けたたいへん穏当なものである。交差点の5m以内では絶対に路上駐車をしないし、信号が青に変わるやいなやアクセルを踏み込むこともない。雪が降って路面が凍っていれば、どれほどほかのドライバーが疲れていようと運転を拒否する。そのおかげで、ようやくこのあいだの更新で免許がゴールドになった。

 

ただし、世の中の人間すべてが良識に富んでいるわけではない。世の中は、私のゴールド免許を剥奪しようとする悪意に満ちている。オービスねずみ取りなどはその良い例である。そして、こうした公権力からの圧力に加え、ボランティアとして私の心の平安を乱しにかかる輩が一定数存在する。

 

「自分がくたびれる」という理由で、たいていドライブを企画するときには免許持ちを何人か連れて行く。しかしどういうわけだか、「様子のおかしい」ドライバーに遭遇するのは、決まって私がハンドルを握っているときなのだ。

 

「車間をやたらと詰めてくるハイエース」「高速の追い越しを信じられないスピードで突っ走っていく高級車」「プリウス」など、このへんはもはや序の口である。「車線変更でウィンカーを出さない」なども、阪神高速や国道新4号バイパスなどに行けば、いくらでもお目にかかることができる。

やたらと飛ばすのであったり、荒い運転をするのであったりするなら、むしろまだやりやすい。運転マナーの悪い道には、たいてい別ルートが存在するからだ。問題は、田舎の下道である。「様子のおかしい」ヤツは、むしろこういうところにたくさんいる(と個人的には感じる)。

 

田舎の下道の怖さは、おかしなヤツに遭遇しても「逃げ場がない」ところだろう。後ろに付かれても前を走っていても、対面通行で黄色のラインだったりするともうお手上げだ。ひたすら自分が曲がるか、相手が曲がるかを待つしかない。

 

このあいだ能登半島を走っていたときの話だ。

ナビの導くままに幹線道路を走っていると、前方にイヤな予感のするクルマが見えている。

型落ちの軽自動車で、車線の取り方もどこかおぼつかない。さらによくないことに、どんどん車間が詰まってしまっている。ここは幹線道路ではあるけれど、先ほどから対面方向区間に突入している。黄色いセンターラインを超える勇気はないし、そもそも持つべきでもない。後方を見つつスピードを落として、落としていって、ようやく車間が落ち着いたころに、スピードメーターを見る。

制限速度80km/hの道を、65km/hで走っている。

 

軽自動車の向こうに、しばらくクルマの影はない。山間の見通しの利かない線形なので、後方のクルマには、軽自動車の姿が見えない。つまり彼らにとっては、私こそが「様子のおかしい」ヤツである。

不本意な殺意が、私の後ろに列をなしている。私の敵意は、軽自動車になにひとつ届いていない。

 

人間としての度量が大きいので、パッシングもしなければクラクションを鳴らすこともない。ただひたすらハンドルを握りながら、前のクルマが消えるまでボヤいたり舌打ちをしたりするだけだ。車内の空気が、次第に悪くなっていく。同乗者たちも軽自動車にイライラし始めているようである。本当にチンタラ走るクルマには困ったものだ。あと10分複線期間に突入するのが遅れていたら、きっと私は彼らに強いられて、前のクルマにビタ付けしていたことだろう。

 

安全安心の楽しいドライブには、気苦労が尽きないものである。

健全な思考への夜歩き

春先になる。じっと鏡を見る。

腹回りが大変なことになっている。

 

人間も動物なので、寒くなれば自然、それに対抗しようとする。

しかしアリストテレスによれば、人間は社会的動物である、という。

簡単に言うと、「ドラマのイケメンがみなスリムである」というそれだけの理由で、我々は自然の摂理に逆らうことを余儀なくされているということだ。

人間だもの、という逃げ口上は、人間だもの、という追い打ちによって、もろくも崩れ去るのである。

 

家の中でジッとしているだけで理想の姿になれるほどに、残念ながら今世紀の文明は成熟していない。

社会的に妥当な姿を得るためには、結局どうしたって身体を動かすほかにない。

家の中で運動する程度には文明が発展したものの、多くの場合そうした道具は(実家をはじめとして)、本来の用途以上に、物干しやオブジェとして活躍の機会を与えられている。

全体としての社会の発展は、個々の人間の進化を必ずしも導かないらしい。

 

収入はないが、時間はある。

そうした人々のために、散歩というものはある。

 

家からの散歩ルートは、大きく2通りある。

南に下がって平安神宮まで行くか、北に上がって哲学の道を踏破するか。今日みたいに運動がてら歩く日は、北ルートのほうが幾分歯ごたえがある。と言っても往復で6kmだから、ランニングなどを日課としている人からすれば、大したことはないのかもしれない。

 

志賀越道を伝って、途中で吉田山沿いに、今出川の1本裏の通りへ抜けていく。せわしさを避け、落ち着いた雰囲気のままに哲学の道の入り口にたどり着く、数年来お気に入りの道筋だ。

 

志賀越道というのは名前が示すとおり、このまま進んで行くと滋賀県へ連れて行かれる。起点は川端通り沿いにあるが、現在は東一条のあたりで京大の本部キャンパスにぶった切られている。このルートで使っているのは、ぶった切られた東側部分の一部である。途中に立派なお地蔵様があって、かつては道中の安全を見守っていたのだろう。かるーく会釈をして、先を急ぐ。

 

桜もなければ紅葉もないし、なんなら枯れ葉ひとつ梢には揺れていない。

何も無ければ、人もいないのが道理だ。

京都にあって、これ以上の贅沢はない。

 

哲学の道というからには、なにかこう厳粛な雰囲気が漂っているんだろう。そう思う人もいるかもしれないが、むしろ昼日中に行って、これほど思索に向かない場所はない。

哲学の道の北の起点は、銀閣への参道口でもある。銀閣の庭は残念なことにオールシーズン対応なので、季節を問わず観光客の往来が激しい。当然、それを当て込んだ商売もまた、たくましく軒を連ねている。それはそのまま哲学の道にもつながっており、白川疎水沿いにしばらくは、小物屋やおしゃれなカフェなどが鈴なりになっている。

たぶん、西田幾多郎が散歩しなければ、ここまでにはならなかっただろう。西田先生だって、だれもいなかったからここを選んだに違いない。

 

しかし、時計がもう明日になろうとしているなら、話は別だ。土産物屋はとうにのれんをしまい、行き交うといっても酔狂なカップルか猫くらいのものだ。人混みが苦手だから、ついつい夜歩きが癖になってしまった。

 

「◯◯寺まで…分」といった案内が、道辻のたびに現れる。このへんには、こぢんまりとしているがお庭の素敵な寺院がいくつもある。季節限定でしか拝観してなかったりするので、出不精な私は、学部生の頃に一度行ったきりになってしまった。次の拝観のころには、もう私は辺境の人となっている。

 

大豊神社の前を過ぎたあたりから、突然道幅が少し狭くなる。数歩先もおぼつかないなか、水音と森のざわめきだけが、まわりに何があるのかを教えてくれる。舗石の硬さを頼りにしばらく進むと、右手がひらけて、町並みのあかるさが遠目に飛び込んでくる。盆地のふちを進んできたのだ、ということに、あらためて気づかされる。気取らない夜景とともに、哲学の道の夜歩きは、折り返しを迎えることになる。

 

南の起点は、熊野若王子神社という、後白河院ゆかりの寺院の門前である。この神社の裏山へと進んで行くと、どういうわけか同志社の共同墓地があって、新島襄夫妻に挨拶することができる。そしてそれをさらに奥へと分け入っていくと、そのうちに下りになって、南禅寺の裏口に辿り着く。一度だけ好奇心から踏破したことがあるが、それなりの山道なので、お気に入りの靴で行くことはおすすめしない。

 

いったん西へ坂を下りて、鹿ヶ谷通りから南へさらに進むと、永観堂、そして南禅寺境内へと抜けていく。たまに気が向くと、南禅寺から岡崎公園へと回って、南まわりのルートを逆行して帰るなんてこともする。ただ、今回は素直に折り返して帰る道を選んだ。アップダウンのあるルートは、距離以上に心理的負担が大きいものである。

 

久しぶりの散歩で、心なしか身体が引き締まった、気がする。

 

今度は志賀越道を完全踏破してみようか。

誰を巻き添えにするか、今から楽しみで仕方ない。

岡崎にて

 新卒で入った会社を辞めて、3ヶ月が経とうとしている。

 

 今の下宿は、2月末に引き払うことにした。進学して以来、就職してもなおずっと動かずじまいで、2年契約をもう3回も更新している。大学にほど近くそこそこ広さもあるので、昔はよくいろいろな企画の舞台となった。2つ下の世代まで社会人となった今、もはや訪れる人もそう多くはない。

 

 宵っ張りのライフスタイルが、深く根付きすぎてなかなか普通に戻せないでいる。職場も昼過ぎの出勤で退社が夜遅かったから、結局この土地での生活で、あまり東の空に太陽を見たことがない。勉強は朝のうちにするのがいい、というのはたいていの自己啓発本に書いてあるが、どうしても日が落ちてからのほうが読むなり書くなりするのが捗るように思う。

 

 『精神現象学』の新訳が届いた。喫茶店で読むべきではないか、と思った。時計はすでに夜の10時を半分過ぎている。あそこしかない、とコートを羽織った。

 

 京都が冬らしい寒さを思い出したのは、この1週間ほどだろうか。暖冬なら紅葉は微妙だろうなんて話をしていたところで、一気に見頃が訪れた。こっちに来た頃はもっと早かったと思うのだが、年々遅くなっている気がする。手袋を忘れて、冷え性には辛い夜歩きが15分ほど続く。

 

 徒歩圏内に深夜営業の喫茶店があると知ったのは、ごくごく最近のことだ。小綺麗な全国チェーンと、なんの気負いもない老舗との2軒。安いのはチェーンだが、今夜は老舗でなければいけない。そうと決まっている。

 マスターのじいさんがひとりでカウンターを回しており、ポツポツと来店する常連たちと二言三言を交わす。店に入ったのはもう11時近かったが、むしろ常連はこの時間に来ると見える。入り口の扉には「全面喫煙可」の表示があり、テーブルには当然のように灰皿とライターが備え付けてある。タブロイド紙を広げるおっちゃん、パソコンで作業する大学院生……もはや紫煙は、この空間においてはドレスコードですらある。ガラガラの店内には、マスターの趣味で特に法則性のないBGMが流れている。コーヒーはまずくもないが、特筆するほど美味しくもない。だが、それでいい。それが良いのだ。

 

 ブレンドを注文し、さっそく新訳を手に取る。訳文の透明感に助けられて、勉強不足の頭でもそれなりにさくさくと進んでいける。訳者の怜悧さが隅々まで光っていて、自分の中途半端さに、だんだんと肝の冷える思いがしてくる。将来のこと、今のこと、昔のこと、思考を追う隙間に、次第にノイズが混じってくる。まともに生きようと思っても、どうしたって、煙に巻きたくなるようなことはある。ごまかした時間が、灰になって積み上げられていく。コーヒーが次第に冷めていく。

 

 

 退職のきっかけは、職場の人間関係だった。生徒と過ごす時間は楽しいのに、スタッフルームに戻ってくると、なにやら息がつまる。低気圧のせいにして日々降ってくる仕事をこなしているある日、急に身体が出勤を拒否した。あまりに原因に説明がつかなかったので、心の問題を取り扱う医者に相談した。

 

 適応障害、という診断書をもらうまで、そう時間はかからなかった。その2日後には管理職に話を通し、人生で初めての勤め人生活は、たったの半年で小休止に入ってしまった。それが9月末の話。

 

 10月の中旬にはオーストリアに行った。11月の初め頃に中学の同窓会があったし、その少し前には、高校の同期と東京で飲んだりもした。失職してからしばらくは、勤め人として迎えるはずだった予定が、その通りに流れていった。嘘をついても仕方がないので、その都度その都度、今の身の上を「高等遊民だ」なんて嘯いてみせもする。ただ、百万遍で許されていることが、よそでもおなじく受け容れられるとは限らない。いやむしろ、流れを降りた人間と流れにある人々とでは、同じ平面にあっても、岸辺と川面ほどに意味空間が隔たっている。

 

 ゆく河の流れは確かに絶えることはないが、流れゆく河のさまは、長明の昔から変わることはない。小路の古びた町家、四方を囲む山々、そして川沿いの散歩道。そのすべてが「これでよい」と、足すことも引くこともなく、必要な手入れを重ねつつ、ただそうして在る。そうした空間に身を置くと、変化と成長を旨とする時間環境とはどうしても縁遠くなっていく。ある者は結婚し、ある者は出世を重ね、いっぱしの社会人になっている。京都に安んじていた私はどうだろう。何かが変わり、社会の一員となるに相応しくなっているのだろうか。

 

 関東に戻る決意を固めたのは、ここ最近になってようやくのことだ。

 

 

 マスターがBGMをAMラジオに切り替えた。変わらないチェロのメロディと、新しくなったパイロットの声。JET STREAMの時間になってしまったらしい。冷めたコーヒーをお供に、ノイズを左手で燃やしながら、ふたたびヘーゲルに取りかかる。カウンターの常連は、今日が誕生日らしい。隣のテーブルでは、院生同士と見えるふたりが笑いながら煙草を燻らしている。

 この街は、こういうところだ。だから、番組が終わったら帰らなければと思った。

 

 520円ですっかり長居をした帰り、真如堂に足を伸ばすことを思いつく。

 

 吉田山の東のふもとにあるこの小さなお堂を見つけたのは、まだ京都がもの珍しい7年前の秋だった。広くはない境内だが丁寧に整えられていて、紅葉の朱の中にすっくと、三重の塔が遮るもののない青空へとそびえ立っている。春には桜、初夏には青モミジと、足を運ぶたびに、季節折々のしつらえをさりげなく楽しむことができる。京都にしては珍しくそう人数の多い場所ではないのだが、近年は紅葉の頃になると、大型バスが横付けされている光景をまま見るようになった。それでも、夜更けともなれば話は別だ。こんな時間に境内をウロウロするのは、盗賊か暇人と相場は決まっている。

 

 白川通りを上がって、東側の参道から境内に入る。西側正面とは違い、こちらは街灯もまばらで、しかも坂がきつい。足下の怪しい、石塀に挟まれた狭い階段道をひとりで登っていく。

 

 大きなお寺ではないので、境内には目立った照明設備はない。東側はお堂の裏なので、21世紀には貴重な完全な暗闇に包まれている。記憶を頼りに、参道を表へと進む。

 

 思っていたとおり、紅葉のピークはとっくに過ぎていた。手入れされた木々は梢を残すばかりで、おそらく昼間に来ても、今と同じく人影はまばらだろう。

 

 がらんとした境内であくびをした。自然と見上げた視線の先で、木々の枝先に青白く火がともっていた。晴れた月のない夜空で、星がよく見えていた。

 

 暗さに目が慣れて、灯りがひとつ、ふたつと増えていく。梢で抱えきれなくなった光が、見回すほどに散らばっていく。南の空で流れ星も見えた。星空に「降る」という言葉を与えた人は、本当にセンスが良いと思う。

 

 私だけが今、この景色を見ている。誰にでも分かち合いたいが、今誰にも教えたくない。私は思わず立ち尽くしているのに、誰も彼もおそらくこの事実を知らずに、眠りにふけっている。誰にとっても、実は私にとってすら、これは「なんの変哲もない冬の夜」でしかないのだ。こんな夜は、ほかにいくつでもあった。その「普通さ」に、「よそ者」としての私はいつでも打ちのめされる。

 

 こんなに完成された夜がありふれていて、こんなものを知ってしまって、ほかにどこに行けというのだろう。

 別れよう、という間際になって、この街はいつだってこうだ。

 

 西から次第に雲が迫ってきた。もうじきこの夜もありふれた曇り空になっていくのだろう。もう潮時だ。

 

 それでも、どんな筋書きだって、終わりは書かなければならないのである。


小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)


パスポートの話

大学生、というと海外旅行やら語学留学やら。

そういう風潮が強い時代にモラトリアムを送っていた。

 

なんだかなあ、という気持ちが、私を時代の波とやらに乗り損ねさせてしまった。

すなおにやっときゃいいのに、ということを、ことごとく逃して、今の私がある。

 

パスポートは新婚旅行までお預けか。無駄に取得のハードルばかりを上げていたら、そのきっかけは案外あっけなくやってきた。

 

「……オーストリア?」

「どうだ通訳がてら」

「本気か」

「10月のあたまあたりで考えてる」

「そっからちょうど有給が申請できるな」

「どうだ」

「そうだな」

 

高校時代の同期の、藪から棒の提案だった。ちなみに私は男子校の出身である。

 

チャンスのあることを、断ってもしゃあない。そんな考え方が少しずつ行動につながりはじめたのは、ごくごく最近のことだ。

 

いったんやってみるとなるとこらえ性がないので、一刻も早く手続きを進めたくなるし、実物を手に入れたくなる。誕生日にトイザらスへ連れて行ってもらっていたあの頃から、何一つ成長していない。

 

京都の旅券事務所は、京都駅ビルの8階にある。申請時間は午前9時から午後4時までと、社会人の海外逃亡を阻止するのにちょうどいい設定になっている。

どうせ平日の昼下がり、そんなに人もいないだろう。思い込みと魂胆の甘さが、私の貴重な昼休みを3度までも奪っていった。この人たち、仕事はどうしたんだろうか。沈没しそうな船からはネズミが逃げていく、といったようなことがふと頭をよぎる。

 

怪しい者ではないことを一通りの資料で納得させると、引換券のようなものを渡される。その場で手に入るのではなく、数日後にまた取りにこいということらしい。なあんだ。

 

申請がお盆前だったので、受取りは随分と先延ばしにさせられた。実家で飯を食い、ダムと山しかないような辺境の温泉宿へ行きなどしているうちに、誰かが私の海外逃亡のために働いてくれていたらしい。税金は払っておくべきものだ。

 

5年有効と10年有効とで色が違うのだが、いわゆる朱色のパスポートは後者の方だ。額も倍ほどに違うが、当然、どちらで申請したかは言うまでもない。

 

これで向こう10年、世界の可能性が随分と広くなった。

もっとも、可能性はあくまで可能性でしかないけれど。

世界、カプセルホテル

「午前中断水」と書かれた紙が、郵便受けに入っている。

 

終わった話ではない。3日後のことだ。

 

昼に起きて遅く帰る生活で、午前中に水が使えない。用も足せなければ歯も磨けないし、顔も洗えないとなれば出勤もままならない。しかし、有休を取るにはまだ2ヶ月も足りない。

 

どうにかしなければならない。

 

話は簡単だ。家に帰らなければ良い。でも、家はひとつしかない。実家は論外の距離にあるし、品行方正が災いして転がり込む相手とてない。良識というのも考えものだ。

 

世間の大半のことはカネで解決する、といったのは誰だったろう。大半かどうかはともかく、カネで解決しないことはおそらく何をどうしても無駄だろうとは思う。快適さと口座残高とのバランスの範囲内で、なかなかおもしろそうな解決策を見つけた。

 

カプセルホテルを予約することにした。

 

歩道いっぱいに溢れる観光客も、夜は当然横にならなければならない。大通りも路地裏も、田舎のデイサービスセンターと同じペースで、京都では宿泊施設が日一つと増えている。

虫の良い条件を出しても、需要と供給が大きいお陰で案外選択肢は幅広い。大浴場があって職場から歩いて行ける、さらにオープンしたて。まさか空いていないだろうと思いきや、格安からゴージャスまであらゆるプランが残っている。とあれば仕事中であろうと、予約手続きを進めるほかない。

 

ホテルは大通りから一本、路地を入ったところにある。オリエンタルなBGMに、簡素だが清潔感のあるフロント。2階には男女別のラウンジがあり、フリードリンクとマンガ、マッサージチェアが使いたい放題。浴場は広くて清潔で、しかもシャンプーとリンスは、たくさんの種類から好きなものを選んで使えるようになっている。タオルと部屋着も用意されているし、着替えがなくても、フロントに行けば下着からYシャツまで一通りのものは手に入る。この行き届きよう、極めて言いにくい既視感がある。

 

リストバンドのバーコードが、各フロアや大浴場への入場キーとなる。サービスの既視感とは裏腹に、この建物では、いかなる間違いも起こりえない。ここにあるのは、徹底した管理と快適さだ。

 

カプセルはもっと狭っ苦しいものだと思っていたが、その狭さが実に心地よい。人ひとりが十分に寝返りを打てる空間に、テレビモニターやコンセントなど、21世紀に必要なものが全て収まっている。時間になれば、光の目覚ましが音も無く、自然に朝を教えてくれる。もしどこぞのおっさんがイビキをかいていても、使い捨ての耳栓という心遣いをこの施設は忘れていない。ちなみに枕も何種類か用意されており、自分に合ったものを好きに使うことができる。必要最小限の中に、あらゆる快適さが約束されている。

 

ここを快適だと感じることは、あるいは自分の世界の限界なのではないか。「480」と書かれた私の穴蔵でウトウトしながら、思う。

 

世界の全てがあるようであって、何も文句がないまでに快適な空間だ。しかし、その空間はありとあらゆる限定と限界がある。起きて半畳寝て一畳、と言いつつ、ここには立って伸びをするだけの広がりもない。プライバシーを守るのはすだれ1枚の頑強さでしかなく、息を潜めて自分の中にこもることによって、ようやく自分が世界と切り離される。

 

もっと広いベッドを要求してもいいし、鍵付きの扉で自分を守りたいと考えるのはなんら間違ったことではない。いや、区切るいわれもないほどに、自分の側から世界へと拡散したっていい。自分が閉じていく必要など、どこにもありはしないのだ。

 

でも、私は確かにこの穴蔵に満足している。あらゆる限定に満ちているのに、「これ以上何も損なわれえない」というそのゆえに、私は喜んで世界から自分を閉じていく。

 

「我唯足ることを知る」と嘯きつつ、本当は何かを諦めている。いや、これ以上、というやつがなんなのかがよく分からない。しなければならない、という謂れもないし、できるんならまあ……などと悠長に構えているうちに、時間ばかりがすぎていく。そして、そうやってでも、多分生きていけてしまうのだろう。

 

結局何を思い立つでもなく、もう一度風呂に浸かり、そして好きな枕を選んで、穴蔵の灯りを消したのだった。

夏の真ん中、盆地の底

アスファルトでミミズが干からびている。

 

時節柄べつになんということのないはずの画が、どうにも他人事とは思えない。

水を求めて地に焼かれるのと、「そういうことになっているから」という誰が言ったか分からない理屈で日に照らされているのと。

万物の霊長、などと言っても、所詮はその程度であるらしい。

 

市バスの停留所は霧を振り撒いている。

どこぞの大都市では、オリンピックを打ち水で乗り切ろうというリーダーがいると聞いた。

どうやら役所だけは、エアコンの設定温度を28度から動かさずにいると見える。

 

夕立というにはあまりに大仰で慈悲のない雨が降って以来、それを埋め合わせるように晴天続きだった。

祭の人いきれが、すえた臭いに変わって烏丸通に漂っている。

 

気の早い台風が回り道をしなかったら、盆地の7月が終わることは無かったのかもしれない。

通勤路は吹きちぎれた街路樹や、どこのものともしれない空き缶で、私のデスクとさして変わらない光景が広がっている。

ビルとビルの間を抜けていく風に、アスファルトの色艶。

八坂さんも流石に、このままではマズいと思われたのだろうか。

 

エアコンの効いた部屋で、来ない生徒を独り待っている。