寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

月見れば……

実家の部屋は窓が南に向いていて、そしてそれだけが取り柄である。

 

 

寝ようと部屋の電気を落とすと、外の明るさに気づかされた。

真南を少し西へ過ぎたところ、薄曇りのむこうから、月明かりが差している。

 

向かいの家はすでに寝静まり、幹線道路の街灯は、こちらよりもなおあちらを照らしている。

私の枕元に伸びる青白い光は、あの雲のすきまからやってきたのだ。

 

「牀前看月光 疑是地上霜」

ベッドに月明かり、霜と紛う澄んだ青。

李白の『静夜思』の一節だ。

李白というと豪快な人だ、というイメージがあるけれど、作品を見てみると、むしろセンチメンタルで線の細いところに気づかされる。なるほどこの人は宮仕えには向かなかっただろうなあ、と、彼の詩を読むたびに、共感とも何ともつかない気分が押し寄せてくる。私はこの人が大好きだ。

 

月の明るさは、生活に直接かかわるものではない。

太陽が出なければ、それは神話になるほどの大事件だ。だが、月が消えたといって、誰が驚くだろうか。

だからこそ、月明かりはただ純然に、うつくしいものとして、私たちの前にある。

うつくしいからこそ、私たちの生活のなかで、それははじめて意味のあるものとして意識されるのだ。

 

ところ変われば、なにが自分にとって意味あるものなのかは変わってくるのかもしれない。

オーストリアの旅行中、そう言えば月を見なかったなと今ふと思い出した。

 

異なる習俗、異なる気候、そして異なる美意識。

 

グローバル人材には、いったいどんな月が見えているんだろう。

 

日本の片田舎で、そんな底意地の悪いことを考えている。

何と言うことのない日 時代と時代のあいだで

空前絶後の10連休、と言っても、半分以上学生身分の、名ばかり自営業だ。影響があるんだかないんだか、自分でも良く分からない。

 

いちおう家庭教師先には、

 

「祝日ですけど授業どうしましょうか」

 

と、前々から聞いておいてはいた。だが、どこの御家庭も

 

「普通に来ていただいて大丈夫です」

 

と返ってくる。

 

「むしろ先生のほうこそいいんですか?御予定は?」

「いえ特にないんで」

 

生徒と保護者の目に一瞬、影が差した気がした。

 

 

そんなわけだから、時間になれば、服を着替え、車のエンジンをかけることになる。

 

出がけに見たニュースでは、首都圏一帯の渋滞が話題になっていた。ラーメン屋で十数人分待つのだって気が引けるのである。数十キロ単位で車が並んでいるところに、飛び込んでいく気には到底なれない。

市内の道路は多少流れが緩いくらいで、休日であればこんなものか、というくらいの混み具合だった。駐車場の立派さばかりが目立っていた近所のボーリング場に、溢れんばかりにお客さんが来ている。おそらくこの10日で、10年分の稼ぎを得るつもりだろう。

 

雨脚が強まってきた。授業開始までは、まだ少し時間がある。

生徒の家からそう遠くないところに、母方の菩提寺がある。実家からは片道1時間ほどかかるのに依頼を引き受けたのは、そうした縁もあってのことだった。

 

山に近づき郷が遠くなれば、行き交う車の数もひとつ、またふたつと少なくなる。昼日中のハイビームは、誰もいない道で、ただ私の安全のためだけに先を照らしている。

 

寺に着く頃には、時計は5時を迎えようとしていた。陛下の退位礼を、私は狭い軽自動車の中で見守った。

不意の思いつきの墓参りだ。花もなければ、線香も持ち合わせていない。掃除くらいは、とも思ったが、それは降りしきる雨に任せたほうがよいような気もする。またいつでも来られるから、と、じいちゃんとひいばあちゃん、そして見知らぬその他の親戚たちに、気は心の一礼でご勘弁願う。

 

平成最後の日、そして令和最初の日。

そのどちらも、お世辞にも「よいお日より」とは言えなかった。

しかし、事実は小説ではない。だから、風景が現実になにを告げるということもない。いいことがあれば良い日になるし、そうでなければ意味合いが変わるだけのことだ。

 

では、どんな一日だったのか?もう今日は満腹で、酔いも回っているのだ。これ以上考えるだなんて、とうとできはしない。

「ノーカー、ノーライフ」というノー、フューチャー

大学生になったら免許を取って、自分の車を持つんだ。

小学生、いや中学を経て高校生になってもなお、わたしは素朴にそう信じていた。

 

修学旅行の夕日に妙に心惹かれて、大学生になったわたしは、遠く祖国を離れ、京都を生活の舞台とすることになった。

 

新入生向けのあれやこれやの書類の中に、1枚、わざわざカラーのA4に刷られた通知が混じっていた。

 

「本学ではマイカー通学は禁止です」

 

駐車場がキャンパスのどこにも見当たらない理由を、わたしはそのときになって、ようやく理解したのだった。

 

「マイカー」という概念は、栃木を出たことのない十代のガキンチョにとっては、希望ではなく、むしろ単なる常識に属することだったのだ。

 

都市での生活は気が付けば8年にもわたり、田舎育ちの若者も、ようやく公共交通機関で暮らすということを理解し始めた。

 

それでも、休日の遠出となると、まだどこかで「レンタカー」という選択肢を思わずにはいられなかった。

だいたいどこに行くにしろ、鉄道を使った方が早いし安いというのに。

 

大学と同じ街で就職し、「社会人になったらマイカー」というもうひとつの漠然とした”常識”も、結局実現せずに終わった。

いつかは自分の車が持てるんだろうか。クルマのいらない生活を日々送りつつ、そう思わずにはいられなかった。

要る要らない、という問題ではなかったと思う。と思えば、ステータスの問題でもない。

ただ、それが生まれてこのかたの習慣であって、「そういうもの」だったからという、たんにそれだけのことだった。

 

思わぬかたちで半年にして退職し、予想していたよりも早く、クルマ社会に戻ってくることになった。

 

この街で大学に通い、ささやかとはいえ仕事もしていくことになる。

となれば、おのずから「常識」に従わなければならなくなる。

 

生まれて初めて、数十万単位の借金をすることになった。

いつになるんだろう、と思っていたことの実現は、あんがいあっけないものだった。

 

現実的なことを考えて、選んだのは中古の軽自動車だった。

本当は原付あたりでいいだろ、と思っていたのだが、長いこと地元を離れ、わたしもヤキが回ったらしい。あんなところを2輪で走るなど、命がいくつあっても足りない。

 

値段と性能とを鑑みて2車種で迷っていたのだが、結局安いほうで手を打つことにした。いまでも同じ車種を街で見るとモヤモヤしないこともないが、この街にあって、あの会社のクルマが安売りされることは絶対にないのだ(どことは言っていないがおそらく察されると思う)。

 

ただ、安いと言っても、「安物」では決してない。

小さい頃、じいちゃんのワゴンRによく乗せてもらっていた。あれから考えると、糸電話がスマホになったがごとき進化だ。

 

コンパクトだとか省スペースだとかが好きな人間なので、小回りの良さがとても楽しい。農道のいとこみたいな細い対面通行でも、車幅を気にせず走ることができる。

当然エンジンは660ccだから、踏み込んでからの加速はご愛敬。制限速度に乗るのでさえ、後続車がどんどん追い越しへと入っていく。しかし、街乗りであれば何の問題もない。ただでさえ、この街の走り方はアクセルとブレーキを踏みすぎるのだ。

ただ、高速運転はできないのかというと、そんなことはない。DレンジにDs(ドライブスポーティ)というモードが搭載されており、ボタンひとつで実に反応よく、粘り強い走りを見せてくれる。エコマークの表示が消えるので、おそらく燃費には影響するのだろうが。

 

この街の散歩道のなさにしばらくウンザリしていたが、クルマを手に入れてから、クルマ社会ではドライブが散歩なのだと気が付いた。仕事先のひとつが山のほうなので、行き帰りのナイトドライブが、いまは毎週の楽しみになっている。”車”跡まばらな道を、お気に入りの音楽とともに流していく。結局、足がクルマになっただけで、京都にいた頃とやっていることは変わらないような気がする。

 

ただ、当然ながらこの「常識」もいいことばかりではない。

まず、コストが大変に大きい。軽自動車とはいえ、購入費や税金、さらには駐車場代など、持っているだけでお金が飛ぶように出て行ってしまう。それになにより、この頃石油が高くなり始めている。いくら燃費が良いとはいえ、毎日数十キロは走るとなると、世界平和が財布にストレートに影響してきてしまう。駐車場にしろ、近いとはいえウチから歩いて10分はかかる。この距離を歩くのに自分で運転までするのかぁ……、なんて、都市生活の頃を思うと、どこかビミョーさがぬぐいきれないところではある。

 

しょうじき、生活にクルマが「必需品」という状況なり価値観なりは、さっさとなくなればいいと思っている。

自分で持ってみて分かったが、維持するだけでとんでもないお金が流れ出ていく。都市の人間とその分だけ「使えるお金」に差が出ていると考えると、これでは地域経済が”活性化”なんてするわけがない。

それになにより、やはりクルマ社会は街が広すぎる。街の密度がクルマを基準に作られているから、歩く人の立場からすると、なにもかもが大味か、そうでなければ空虚だ。いや、歩く人ということ自体が、そもそも街に「存在しない」。極端な話、都市では田舎の駐車場の分、いろんなお店があって、お金が動いているのだ。この密度の差もまた、地方経済の”活性化”に大きな影を落としているように思う。

 

トヨタの社長さんがCMで言っていたことが、とても印象に残っている。

 

「かつてアメリカには1500万頭の馬がいたが、今は1500万台のクルマに取って代わられている。馬はいま、競走馬や乗馬用として残っている。自動運転などでクルマがコモディティ化した時代において、Fun To Driveは必ず残る。」

 

わたしはこの言葉に全面的に賛成する。そしてもう一歩踏み込んで、Fun To Driveであるために、Have To Driveの要素は限りなく減らしていくべきだとも思う。

 

わたしの地元である宇都宮市では、2022年度までにLRTが開通することになっている。しょうじき住民の多くもその必要性や意義にあまりピンと来ていないようで、いまだにつまらない反対運動のビラがポストに紛れ込んでいる。

エコがどうとかそういう問題でもないし、ましてや、渋滞緩和の解決策にならないという反対もまったく的を逸している。

たとえ蒸気機関車であろうとLRTは通すべきだし、さらに言えば、LRTを通すということは、「クルマがなければ生きていけない」という生活態度なり価値観なりそれ自体への挑戦であり、提案なのだ。

この期に及んで反対を唱えているのは、地元に引導を渡しているようなものだとすら言える。

 

「マストアイテム」たるクルマを維持するだけで、何万というお金が消えていく。

そんな街に、どんな若者が未来と生活を託すというのだろう。

 

 

ただ、クルマ社会は嫌いでも、クルマは小さい頃から、もちろん今に至るまで大好きだ。

ようやく手に入れたDriveが、わたしにとってFunであることには、なんの疑いもない。

 

都会生活を経ての地元暮らしに複雑な思いをめぐらせながら、今日もわたしは、明日のガソリン代を心配し続けるのである。

くにへかえる

自分に対するはっきりとした、ただしそれだけでしかないふわふわとした自信を顔にみなぎらせて、ハイティーンの子らがキャンパスをバス停やタクシーの列へと歩み去っていく。その少し後ろを、わが子の価値を信じて疑わない大人が、距離をはかりかねるようにしてついていく。

京大の二次試験が、ちょうど終わったところらしい。

 

 

8年住んだアパートも、もうあと数日で引き払わなければならない。書き物机やベッド、アルミラックと、処分したそのぶんだけ、慣れない広さが大きくなっていく。

近所の物件にも、さっそく内覧が入っているらしい。アメリカのシットコムを垂れ流しながら片づけを進める向こうから、部屋の説明と相槌の声が漏れ伝わってくる。この部屋も来月には、また誰かの生活で満たされていくのだろう。それならばもう少しきれいに使えばよかったな、と、台所の油汚れを眺めながらほんのり後悔する。

 

洗濯機がなくなり冷蔵庫がなくなり、文字通り何も無い部屋で夜を明かすのがつらくなってきた。市内のホテルをおさえて、もうこれ以上、あそこが自分の生活の舞台になることはない。

 

ワンルームのありふれた部屋が、パーティールームになったり、会議室になったり、あるいは修羅場になったりもした。大学にほど近いこの家で、いったいいままで何人を迎えたことだろう。その知人の多くが京都を去り、ここ数年は来客もまれになった。そしてとうとう、今度は私もここを出ていく。

 

「なんだかんだ、Sさんは京都に戻ってくると思うよ」

先日飲みに誘ってくれた元同僚が、帰りがけに私に向けてこんなことを言った。

 

18年住んだ街と部屋に、8年分の書籍と経験をたずさえて戻ってきた。

京都はすでに過去のこととなりつつあるが、住んでみれば確かにここが都になるのかもしれない。

ハンドルをにぎれば

相手の本性を知りたいのなら、ドライブに誘うに限る。

ハンドルを握るその立ち居振る舞いに、その人のすべてが現れるからだ。

 

 

京都で取得し栃木で磨かれた私のハンドルさばきは、それぞれの薫陶を受けたたいへん穏当なものである。交差点の5m以内では絶対に路上駐車をしないし、信号が青に変わるやいなやアクセルを踏み込むこともない。雪が降って路面が凍っていれば、どれほどほかのドライバーが疲れていようと運転を拒否する。そのおかげで、ようやくこのあいだの更新で免許がゴールドになった。

 

ただし、世の中の人間すべてが良識に富んでいるわけではない。世の中は、私のゴールド免許を剥奪しようとする悪意に満ちている。オービスねずみ取りなどはその良い例である。そして、こうした公権力からの圧力に加え、ボランティアとして私の心の平安を乱しにかかる輩が一定数存在する。

 

「自分がくたびれる」という理由で、たいていドライブを企画するときには免許持ちを何人か連れて行く。しかしどういうわけだか、「様子のおかしい」ドライバーに遭遇するのは、決まって私がハンドルを握っているときなのだ。

 

「車間をやたらと詰めてくるハイエース」「高速の追い越しを信じられないスピードで突っ走っていく高級車」「プリウス」など、このへんはもはや序の口である。「車線変更でウィンカーを出さない」なども、阪神高速や国道新4号バイパスなどに行けば、いくらでもお目にかかることができる。

やたらと飛ばすのであったり、荒い運転をするのであったりするなら、むしろまだやりやすい。運転マナーの悪い道には、たいてい別ルートが存在するからだ。問題は、田舎の下道である。「様子のおかしい」ヤツは、むしろこういうところにたくさんいる(と個人的には感じる)。

 

田舎の下道の怖さは、おかしなヤツに遭遇しても「逃げ場がない」ところだろう。後ろに付かれても前を走っていても、対面通行で黄色のラインだったりするともうお手上げだ。ひたすら自分が曲がるか、相手が曲がるかを待つしかない。

 

このあいだ能登半島を走っていたときの話だ。

ナビの導くままに幹線道路を走っていると、前方にイヤな予感のするクルマが見えている。

型落ちの軽自動車で、車線の取り方もどこかおぼつかない。さらによくないことに、どんどん車間が詰まってしまっている。ここは幹線道路ではあるけれど、先ほどから対面方向区間に突入している。黄色いセンターラインを超える勇気はないし、そもそも持つべきでもない。後方を見つつスピードを落として、落としていって、ようやく車間が落ち着いたころに、スピードメーターを見る。

制限速度80km/hの道を、65km/hで走っている。

 

軽自動車の向こうに、しばらくクルマの影はない。山間の見通しの利かない線形なので、後方のクルマには、軽自動車の姿が見えない。つまり彼らにとっては、私こそが「様子のおかしい」ヤツである。

不本意な殺意が、私の後ろに列をなしている。私の敵意は、軽自動車になにひとつ届いていない。

 

人間としての度量が大きいので、パッシングもしなければクラクションを鳴らすこともない。ただひたすらハンドルを握りながら、前のクルマが消えるまでボヤいたり舌打ちをしたりするだけだ。車内の空気が、次第に悪くなっていく。同乗者たちも軽自動車にイライラし始めているようである。本当にチンタラ走るクルマには困ったものだ。あと10分複線期間に突入するのが遅れていたら、きっと私は彼らに強いられて、前のクルマにビタ付けしていたことだろう。

 

安全安心の楽しいドライブには、気苦労が尽きないものである。

健全な思考への夜歩き

春先になる。じっと鏡を見る。

腹回りが大変なことになっている。

 

人間も動物なので、寒くなれば自然、それに対抗しようとする。

しかしアリストテレスによれば、人間は社会的動物である、という。

簡単に言うと、「ドラマのイケメンがみなスリムである」というそれだけの理由で、我々は自然の摂理に逆らうことを余儀なくされているということだ。

人間だもの、という逃げ口上は、人間だもの、という追い打ちによって、もろくも崩れ去るのである。

 

家の中でジッとしているだけで理想の姿になれるほどに、残念ながら今世紀の文明は成熟していない。

社会的に妥当な姿を得るためには、結局どうしたって身体を動かすほかにない。

家の中で運動する程度には文明が発展したものの、多くの場合そうした道具は(実家をはじめとして)、本来の用途以上に、物干しやオブジェとして活躍の機会を与えられている。

全体としての社会の発展は、個々の人間の進化を必ずしも導かないらしい。

 

収入はないが、時間はある。

そうした人々のために、散歩というものはある。

 

家からの散歩ルートは、大きく2通りある。

南に下がって平安神宮まで行くか、北に上がって哲学の道を踏破するか。今日みたいに運動がてら歩く日は、北ルートのほうが幾分歯ごたえがある。と言っても往復で6kmだから、ランニングなどを日課としている人からすれば、大したことはないのかもしれない。

 

志賀越道を伝って、途中で吉田山沿いに、今出川の1本裏の通りへ抜けていく。せわしさを避け、落ち着いた雰囲気のままに哲学の道の入り口にたどり着く、数年来お気に入りの道筋だ。

 

志賀越道というのは名前が示すとおり、このまま進んで行くと滋賀県へ連れて行かれる。起点は川端通り沿いにあるが、現在は東一条のあたりで京大の本部キャンパスにぶった切られている。このルートで使っているのは、ぶった切られた東側部分の一部である。途中に立派なお地蔵様があって、かつては道中の安全を見守っていたのだろう。かるーく会釈をして、先を急ぐ。

 

桜もなければ紅葉もないし、なんなら枯れ葉ひとつ梢には揺れていない。

何も無ければ、人もいないのが道理だ。

京都にあって、これ以上の贅沢はない。

 

哲学の道というからには、なにかこう厳粛な雰囲気が漂っているんだろう。そう思う人もいるかもしれないが、むしろ昼日中に行って、これほど思索に向かない場所はない。

哲学の道の北の起点は、銀閣への参道口でもある。銀閣の庭は残念なことにオールシーズン対応なので、季節を問わず観光客の往来が激しい。当然、それを当て込んだ商売もまた、たくましく軒を連ねている。それはそのまま哲学の道にもつながっており、白川疎水沿いにしばらくは、小物屋やおしゃれなカフェなどが鈴なりになっている。

たぶん、西田幾多郎が散歩しなければ、ここまでにはならなかっただろう。西田先生だって、だれもいなかったからここを選んだに違いない。

 

しかし、時計がもう明日になろうとしているなら、話は別だ。土産物屋はとうにのれんをしまい、行き交うといっても酔狂なカップルか猫くらいのものだ。人混みが苦手だから、ついつい夜歩きが癖になってしまった。

 

「◯◯寺まで…分」といった案内が、道辻のたびに現れる。このへんには、こぢんまりとしているがお庭の素敵な寺院がいくつもある。季節限定でしか拝観してなかったりするので、出不精な私は、学部生の頃に一度行ったきりになってしまった。次の拝観のころには、もう私は辺境の人となっている。

 

大豊神社の前を過ぎたあたりから、突然道幅が少し狭くなる。数歩先もおぼつかないなか、水音と森のざわめきだけが、まわりに何があるのかを教えてくれる。舗石の硬さを頼りにしばらく進むと、右手がひらけて、町並みのあかるさが遠目に飛び込んでくる。盆地のふちを進んできたのだ、ということに、あらためて気づかされる。気取らない夜景とともに、哲学の道の夜歩きは、折り返しを迎えることになる。

 

南の起点は、熊野若王子神社という、後白河院ゆかりの寺院の門前である。この神社の裏山へと進んで行くと、どういうわけか同志社の共同墓地があって、新島襄夫妻に挨拶することができる。そしてそれをさらに奥へと分け入っていくと、そのうちに下りになって、南禅寺の裏口に辿り着く。一度だけ好奇心から踏破したことがあるが、それなりの山道なので、お気に入りの靴で行くことはおすすめしない。

 

いったん西へ坂を下りて、鹿ヶ谷通りから南へさらに進むと、永観堂、そして南禅寺境内へと抜けていく。たまに気が向くと、南禅寺から岡崎公園へと回って、南まわりのルートを逆行して帰るなんてこともする。ただ、今回は素直に折り返して帰る道を選んだ。アップダウンのあるルートは、距離以上に心理的負担が大きいものである。

 

久しぶりの散歩で、心なしか身体が引き締まった、気がする。

 

今度は志賀越道を完全踏破してみようか。

誰を巻き添えにするか、今から楽しみで仕方ない。

岡崎にて

 新卒で入った会社を辞めて、3ヶ月が経とうとしている。

 

 今の下宿は、2月末に引き払うことにした。進学して以来、就職してもなおずっと動かずじまいで、2年契約をもう3回も更新している。大学にほど近くそこそこ広さもあるので、昔はよくいろいろな企画の舞台となった。2つ下の世代まで社会人となった今、もはや訪れる人もそう多くはない。

 

 宵っ張りのライフスタイルが、深く根付きすぎてなかなか普通に戻せないでいる。職場も昼過ぎの出勤で退社が夜遅かったから、結局この土地での生活で、あまり東の空に太陽を見たことがない。勉強は朝のうちにするのがいい、というのはたいていの自己啓発本に書いてあるが、どうしても日が落ちてからのほうが読むなり書くなりするのが捗るように思う。

 

 『精神現象学』の新訳が届いた。喫茶店で読むべきではないか、と思った。時計はすでに夜の10時を半分過ぎている。あそこしかない、とコートを羽織った。

 

 京都が冬らしい寒さを思い出したのは、この1週間ほどだろうか。暖冬なら紅葉は微妙だろうなんて話をしていたところで、一気に見頃が訪れた。こっちに来た頃はもっと早かったと思うのだが、年々遅くなっている気がする。手袋を忘れて、冷え性には辛い夜歩きが15分ほど続く。

 

 徒歩圏内に深夜営業の喫茶店があると知ったのは、ごくごく最近のことだ。小綺麗な全国チェーンと、なんの気負いもない老舗との2軒。安いのはチェーンだが、今夜は老舗でなければいけない。そうと決まっている。

 マスターのじいさんがひとりでカウンターを回しており、ポツポツと来店する常連たちと二言三言を交わす。店に入ったのはもう11時近かったが、むしろ常連はこの時間に来ると見える。入り口の扉には「全面喫煙可」の表示があり、テーブルには当然のように灰皿とライターが備え付けてある。タブロイド紙を広げるおっちゃん、パソコンで作業する大学院生……もはや紫煙は、この空間においてはドレスコードですらある。ガラガラの店内には、マスターの趣味で特に法則性のないBGMが流れている。コーヒーはまずくもないが、特筆するほど美味しくもない。だが、それでいい。それが良いのだ。

 

 ブレンドを注文し、さっそく新訳を手に取る。訳文の透明感に助けられて、勉強不足の頭でもそれなりにさくさくと進んでいける。訳者の怜悧さが隅々まで光っていて、自分の中途半端さに、だんだんと肝の冷える思いがしてくる。将来のこと、今のこと、昔のこと、思考を追う隙間に、次第にノイズが混じってくる。まともに生きようと思っても、どうしたって、煙に巻きたくなるようなことはある。ごまかした時間が、灰になって積み上げられていく。コーヒーが次第に冷めていく。

 

 

 退職のきっかけは、職場の人間関係だった。生徒と過ごす時間は楽しいのに、スタッフルームに戻ってくると、なにやら息がつまる。低気圧のせいにして日々降ってくる仕事をこなしているある日、急に身体が出勤を拒否した。あまりに原因に説明がつかなかったので、心の問題を取り扱う医者に相談した。

 

 適応障害、という診断書をもらうまで、そう時間はかからなかった。その2日後には管理職に話を通し、人生で初めての勤め人生活は、たったの半年で小休止に入ってしまった。それが9月末の話。

 

 10月の中旬にはオーストリアに行った。11月の初め頃に中学の同窓会があったし、その少し前には、高校の同期と東京で飲んだりもした。失職してからしばらくは、勤め人として迎えるはずだった予定が、その通りに流れていった。嘘をついても仕方がないので、その都度その都度、今の身の上を「高等遊民だ」なんて嘯いてみせもする。ただ、百万遍で許されていることが、よそでもおなじく受け容れられるとは限らない。いやむしろ、流れを降りた人間と流れにある人々とでは、同じ平面にあっても、岸辺と川面ほどに意味空間が隔たっている。

 

 ゆく河の流れは確かに絶えることはないが、流れゆく河のさまは、長明の昔から変わることはない。小路の古びた町家、四方を囲む山々、そして川沿いの散歩道。そのすべてが「これでよい」と、足すことも引くこともなく、必要な手入れを重ねつつ、ただそうして在る。そうした空間に身を置くと、変化と成長を旨とする時間環境とはどうしても縁遠くなっていく。ある者は結婚し、ある者は出世を重ね、いっぱしの社会人になっている。京都に安んじていた私はどうだろう。何かが変わり、社会の一員となるに相応しくなっているのだろうか。

 

 関東に戻る決意を固めたのは、ここ最近になってようやくのことだ。

 

 

 マスターがBGMをAMラジオに切り替えた。変わらないチェロのメロディと、新しくなったパイロットの声。JET STREAMの時間になってしまったらしい。冷めたコーヒーをお供に、ノイズを左手で燃やしながら、ふたたびヘーゲルに取りかかる。カウンターの常連は、今日が誕生日らしい。隣のテーブルでは、院生同士と見えるふたりが笑いながら煙草を燻らしている。

 この街は、こういうところだ。だから、番組が終わったら帰らなければと思った。

 

 520円ですっかり長居をした帰り、真如堂に足を伸ばすことを思いつく。

 

 吉田山の東のふもとにあるこの小さなお堂を見つけたのは、まだ京都がもの珍しい7年前の秋だった。広くはない境内だが丁寧に整えられていて、紅葉の朱の中にすっくと、三重の塔が遮るもののない青空へとそびえ立っている。春には桜、初夏には青モミジと、足を運ぶたびに、季節折々のしつらえをさりげなく楽しむことができる。京都にしては珍しくそう人数の多い場所ではないのだが、近年は紅葉の頃になると、大型バスが横付けされている光景をまま見るようになった。それでも、夜更けともなれば話は別だ。こんな時間に境内をウロウロするのは、盗賊か暇人と相場は決まっている。

 

 白川通りを上がって、東側の参道から境内に入る。西側正面とは違い、こちらは街灯もまばらで、しかも坂がきつい。足下の怪しい、石塀に挟まれた狭い階段道をひとりで登っていく。

 

 大きなお寺ではないので、境内には目立った照明設備はない。東側はお堂の裏なので、21世紀には貴重な完全な暗闇に包まれている。記憶を頼りに、参道を表へと進む。

 

 思っていたとおり、紅葉のピークはとっくに過ぎていた。手入れされた木々は梢を残すばかりで、おそらく昼間に来ても、今と同じく人影はまばらだろう。

 

 がらんとした境内であくびをした。自然と見上げた視線の先で、木々の枝先に青白く火がともっていた。晴れた月のない夜空で、星がよく見えていた。

 

 暗さに目が慣れて、灯りがひとつ、ふたつと増えていく。梢で抱えきれなくなった光が、見回すほどに散らばっていく。南の空で流れ星も見えた。星空に「降る」という言葉を与えた人は、本当にセンスが良いと思う。

 

 私だけが今、この景色を見ている。誰にでも分かち合いたいが、今誰にも教えたくない。私は思わず立ち尽くしているのに、誰も彼もおそらくこの事実を知らずに、眠りにふけっている。誰にとっても、実は私にとってすら、これは「なんの変哲もない冬の夜」でしかないのだ。こんな夜は、ほかにいくつでもあった。その「普通さ」に、「よそ者」としての私はいつでも打ちのめされる。

 

 こんなに完成された夜がありふれていて、こんなものを知ってしまって、ほかにどこに行けというのだろう。

 別れよう、という間際になって、この街はいつだってこうだ。

 

 西から次第に雲が迫ってきた。もうじきこの夜もありふれた曇り空になっていくのだろう。もう潮時だ。

 

 それでも、どんな筋書きだって、終わりは書かなければならないのである。


小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)