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寝たけれども寝たけれども

ねないこ、だれだ?

私である。

 

 

コタツだの学部棟だのでは自由自在に意識を飛ばせるのに、どうしてベッドという本来寝るべき空間ではなかなか寝付けないのか。

気になって夜も眠れない。

 

 

寝付きが悪い癖に、寝始めると長くて、しかも睡眠不足が露骨にパフォーマンスに影響する。挙げ句に夜型で、気が付けば時計が12時を回っている。そんなもんで、予定のある前日にどう寝るかはまさに死活問題だ。

 

 

いよいよ困って、先日、「ヨガで睡眠導入」というのをウリにしたアプリを落としてみた。最近は瞑想がトレンドらしいし、たまには流行にも乗ってみるのも悪くない。

ヨガだからといって絶食したり口から火を噴いたりということを要求することはなく、することといえば、布団に寝っ転がってただただ音声の指示に従うだけ。簡単で良い。簡単なストレッチから始まり、あとはイメージトレーニングをひたすらこなしていくというメニューである。

 

部屋の灯りを落とし、枕元にスマホを置き静かに横になる。時間は既に深夜2時を回っている。

オリエンタルなBGMとともに指示が流れてくる。察するに脱力して呼吸を静かに整えることが効能のメインなんだろう、と、お姉さんの指示通りに意識を背中やらまぶたやらに向けながら思う。つまりは一切集中できていない。

 

 

それくらいならいいのだが、中盤になって、お姉さんの声が一言。

 

「あなたの存在の本質へと意識を深く向けていきましょう」

 

「存在」…「本質」…「意識」…落ち着きかけた思考が、うなりを上げて駆動しはじめるのが分かる。あなたの存在の「本質」って何…そしてその「存在の本質」へ意識を向けている「私」は誰なんだ?ああ、もやもやして寝られない…

 

 

多文化共生の時代、ヨガアプリにも「哲学徒」という可能性を踏まえた開発が求められる。

悲しきイエスマン

お前のどこがイエスマンなんだ、基本何かと喧嘩してるじゃないか。早速そんな声が飛んできそうだ。

 

ところがどっこい、今日の私はまごうことなきイエスマンだった。何を言われても、何を聞かれても「はい」「はい」と応じるばかり。自分の意見を言おうにも、「いいえ」を言うことすらままならない。院試の面接のようである。

 

では、謙虚になったのか。それは来世を待たなくてはならない。残念なことだ。

 

正確に言えば、今日の私は"Ja"というばかりで、"Nein"を言おうとも何を聞かれているのかさっぱり分からなかった。私の口をふさいだもの、それは、なんのことはない「言葉の壁」だった。

 

留学生の後輩(良く分からない概念だが実際そうなんだからしょうがない)に誘われて、ドイツ語のおしゃべりサークルに参加してきた。

ドイツ語は日常的に接している(≠読める)わけだが、いかんせん相手にしているのが18世紀の小難しいおじさんである。道を尋ねることはおろか、自己紹介もできるか怪しい。それじゃ面白くない、と珍しく勇気を出して、知らない人の輪に飛び込んできたわけだ。

 

吉田南に集会所への通り抜け以外でやってきたのは久しぶりだ。実に2年ぶりである。泣きながら語学の単位を集め、教授に土下座しながらレポートを提出していたのがついこの間のことのようだ。この間のことなんだけど。

その間にもぐろおばる化推進の流れに従って、キャンパスの様子は大きく変わっていた。場所として指定されていたのが「国際高等教育院棟」という施設なのだが、なんとまあほぼ語学教育のために建てられたものだとか。それなら高校でもっと語学教育したらいいじゃん…とも思うのだが、今はそれはどうでもいい。血税をふんだんに使った、京大とは思えないオシャレで先進的な施設である。

 

その後輩がもちろんネイティブで、他の参加者は私と同じようにドイツ語会話を鍛えたいというような人だった。かたやこないだまでドイツに留学していて、かたや国のプログラムで今度ドイツ留学するというような顔ぶれ。文学研究科、圧倒的不利である。

 

一体何年ドイツ語をやっているのかと勉強不足を海よりも深く反省する一方、ただただ「ヤー」「ヤー」では芸がない。これではインコかチャゲアスである。知ってる表現と語彙でやったるわい…と開き直って、インチキなドイツ語を振り回してみた。カントが聞いたら第一批判でぶん殴ってきそうな暴挙だが、コミュニケーションは案外成り立つもんだ。いや、これでいいのかもしれない。よくはないか。

 

今度今日の顔ぶれでカラオケに行くことになりそうなので、それも楽しみにしている。

やはり言葉は「喋る」のが必要であると痛感した、修士1年の冬だった。

 

 

ある正月のスケッチ

我が家の初詣は正月の2日、日光に行くのがお決まりとなっている。

 

 

田舎者なのでどこかへ行くというと迷うことなく車であって、ハンドルを握っているのは、始めから終わりまで父だった。近年は私が免許を取ったために、少しずつ不肖の長男に運転席を譲りつつある。ただしこの長男は父の土地勘と反射神経を一切受け継がなかったため、せっかく居眠りを始めても、要所要所で息子に起こされてしまうのである。

 

「道が混むから早めに行くぞ」などと言っていても、結局家を出るのはいつも10時過ぎになる。鹿沼インターから日光宇都宮道路まで、そう混まずに来た。それをいいことに、なにも考えずに日光インターで降りたのが間違いだった。下道が動かない。普段ならあり得ない光景だが、正月は正月だし日光は日光ということだろう。

 

輪王寺側から回って、東照宮二荒山神社へと歩いて行く。今年は暖かいのだろうか、雪が全く無い。「ふくーよこいこい」という例のヤツが、境内に無限ループしている。東照宮の門前では、今年も笛売りのじいさんが健在だった。あのウグイス笛の音を聞かなければ、どうしても物足りなさを感じる。まああと何年聞けるか分からないが(といってもう20年は聞き続けている)

 

「末吉」という近年まれに見る微妙なおみくじを引き当てて、車は一路いろは坂を登り、奥日光を目指す。日光まで来たのだからもう少し足を伸ばして湯元温泉に行こう、というのは人間として当然の判断だ。

正月早々ヘアピンカーブの連続を超え、さらに中禅寺湖の先に行こうという人間はそういないようで、ここはいつ行っても実に閑静だ。湖畔のささやかな温泉街は、足を踏み入れた瞬間に硫黄の匂いがする。街外れの湿地帯に源泉があって、そこから川伝いに温泉は湖へと注ぎ込む。だから、冬になっても湖は完全に凍ることはない。湖の名前を「湯ノ湖」という。

 

県民割引がある、という理由で、休暇村のビジター入湯を利用するのが恒例だ。掛け流しのお湯(冬は温度調整の都合で加湯してるらしいが)で、湯質に関しては間違いがない。単純硫黄泉のにごり湯で、空気との反応の仕方により白く見えたり緑に見えたりする。長々と車を走らせてくるだけの価値は十分にある。

 

昼前に宇都宮の家を出て、こんなことをしていたら帰ってきた頃には日がすっかり落ちていた。サリーが和室のコタツで、ふてくされたようにして寝ていた。気が付けばこの子も今年でもう7歳である。

出がらしの煎茶はふるさとの味

「朝茶は一日の難逃れ」という言葉は、生活の作法として幼少の頃より仕込まれてきた。実際は朝食にトーストが出たりすると朝茶がホットコーヒーになったりするわけだが、それでも休日の朝は、たいてい食後に煎茶が出てくる。

 

朝日と共に就寝する生活が久しく、朝茶という健康的な文化もすっかり廃れていた。味噌汁の葱を刻む音で起床を促し食後に煎茶を出してくれる環境は、新幹線で4時間の彼方にしかない。隣室の目覚まし時計が、「1限の時間になります」「1限の時間です」「1限の時間でした」と1つのベル音で過去・現在・未来を完璧に表現している。さっさと語学を揃えたいなら、いっそ目覚まし時計に学生証を与えるべきなのかもしれない。

 

お勤め品のお茶っ葉を買い込んで、2煎目、3煎目…と繰り返す。多少淹れ方に気を遣ってはいるが、いつまでも煎茶でござい、とはどうしたっていかない。色ばっかり本物っぽくて、舌先に感じるものはだんだんそれらしさから遠ざかっていく。

 

別段貧乏でもないのだが、田舎のおおらかさなのか、祖母は1回の茶葉で何杯でもお茶を淹れていた。お茶の雰囲気を僅かに残した白湯を「出がらし」と呼ぶことを知ったのは、ずいぶんと大きくなってからのことである。

 

何煎目か分からぬ出がらしの味わいに、祖母はどうしているだろうか、とふと思った。「もうすぐお迎えが」と言い始めてすでに10年が経つが、朝茶のまじないでもうしばらく頑張ってもらいたい。

 

ふるさとが遠いと、でがらしの煎茶にも懐かしさを思うらしい。

置い読(とく)という愉しみ

独り暮らしの家にしては本が多い方なのではないか、と勝手に思っている。

 

図書館というものと折り合いが悪く、昔から本は買って読んでいた。親も本と言えばかなり融通を利かせてくれたので、本屋に連れて行かれる度に、何時間もかけてどれにしようこれにしようと悩んだものだ。それでもたいがい5、6冊にはなってしまい、「そんなに買ってどうする」と親にあきれられたのを思い出す。

 

三つ子の魂百まで、というくらいだから、24年くらいでは習い性が薄れるわけもない。京都に移ってもずんずん本は増え、進路を誤ったおかげで、近年ことさらにその勢いを増している。

 

「本の散らばる部屋」というのも無頼派的な趣が無くもないが、一線を越えればただのゴミ屋敷である。人間らしい生活を送らねばならない、そう思い立って数年ぶりに本棚の整理をした。

 

本を整理するルールは至って単純明快。

「原書・専門書等を一番よく見える場所に設置する」

「二度と読まない本は売るか見せる必要のある本の後ろに配置する」

これに従うと文庫本なら岩波文庫PHP新書より上位に、そしてカント関連書籍は堂々のセンターを獲得することになる。こうすることで、高額な専門書達もインテリアとしての本来の役割を十分に発揮出来るわけだ。

 

そして、こうして何かを整理する度に、自分のうちの意外な広さにハッとさせられるのである。

ガートルードの焼き肉

田舎者なので、都市や街を見るとき、自然と「ここは車社会かどうか」ということを考えている。地元である栃木は典型的な車社会だし、そうかと思えば大阪市などは、マイカーなどは持て余してしまいそうな雰囲気がある。

さて、ここ京都はどうかと言えば、いわゆる「碁盤の目」の中か外かで全く事情が変わってくる。レンタカーで市外からやってきた観光客は、市域の大渋滞に閉口させられることになるわけだ(自分たちがそれを助長しているとも知らずに)。

加えて、京都は(無駄に)学生が多い。本当に「学びに生きて」いるのは全体の1Ppmにも満たないが、ともかく、大学組織に籍を置いている人間が掃いて捨てるほどいる。彼らには金が無いので、基本的に移動は「自転車」と呼ばれる無限機関に頼ることになる。京都は学生の街であり、自転車の街でもある。

 

その自転車を、春先に壊してしまった。大きな修理なので代車を借りて過ごしていたのだが、いかんせん金が無いので、なかなか引き取ることが出来ずにいた。まとまった仕送りを得て、ようやく、修繕なった愛車を迎えに行くことになった。

 

愛車はいわゆるクロスバイクなのだが、代車で受け取ったのは典型的なママチャリである。しかも変速器も付いていないので、とにかく重い。荷物がたくさん積める上に重心が低くて操舵に安定感があるという長所もあるが、とにかく重い。自転車屋までの道が軽い登りになっているおかげで、2キロもない道のりなのに、体感としては天竺かエルサレムでも目指しているような塩梅だ。漕いでも漕いでも信号、寝ても覚めても静岡である。

ようやく岩のドーム、もとい自転車屋に到着し、業者の引き継ぎミスによる若干のトラブル(30分)の末、我が愛車を受け取る。帰りは下り坂、愛車は安物ながらアルミフレーム。軽いし早いと書くと碌でもない浮気男のようだが、停まるべきところも特に無ければ、危なくてよそ見をしているヒマとてない。あっという間に百万遍である。京都での生活は自転車の質が左右する、と言っても過言ではあるまい。

 

タイトルとなんの関係もない話を延々と、そう思う向きもあろう。

実は今日、オケの後輩と景気付けの焼き肉に行ってきて、香ばしい煙の臭いに包まれながらこれを書いている。換気装置がないタイプの古式ゆかしいお店なのだが、風呂に2回入っても一向に臭いが落ちない。時間以外に特に何も殺してはいないのだけれど。

タイトルには、そういう事情があるのである。

 

不信心音楽鑑賞

さる先輩の方からご案内を頂き、室内楽の演奏会に行ってきた。

 

お恥ずかしい話だが、クラシック音楽の演奏会などに携わっていながら、実際のコンサートに足を運んだ経験というのが僅かにしかない。率直に言って、「敷居が高い」のである。

 

私の周りは環境としてクラシックに造詣が深い人間が多く、必然的に、クラシックについての会話が高度になる。どこそこの演奏会に行った、だの、誰それの演奏を聴いてきた、という話題になるや、プログラムの編成がどうのあの奏者の癖がどうの、とさながら知識のポケモンバトルの感を呈し出す。対してこちらは、高校からオケを始めて、18になるまでクラリネットオーボエの区別がつかなかったような不信心者である。チケット予約の段階で審査落ちするのではないか、と、CDやYoutubeで好きな曲をいいだけ聴く、というところに長らく落ち着いてしまっていた。

 

楽器を続けて今年で9年目になるが、ここに来てようやく、もっと気軽に演奏会に足を運ぶことも大切だなあ、と思い始めたのだ。単なる聴き手としてであれば、何もクラシック音楽を「分かる」必要など無いわけだし、弾き手の面汚し端くれとしてであれば、前提となる知識はどうあれ、音楽が作られる「現場」がどんなものなのかは見ておいて損は無い。こう言い並べてしまえば当たり前のことではあるけれど、ド素人と玄人はだしが轡を並べるアマチュアクラシック界隈にとっては、案外明確に認識されていないんじゃないかなあとも思う。だからと言って、これから頻繁に演奏会行ってきまーすともならないとは思うけど、たまには良いものを見聞きするのもまたよしである。

 

どんな人であれ、もっと気軽に聴いてくれたら、さらに言えば演奏会に足を運んだらいいんじゃないだろうか。クラシック音楽に関わり、あまつさえ演奏会の主催者でさえあった人間ですらこんなんなのだから(つらつら振り返るにどうして自分に音楽団体の代表などが務まったのか甚だ疑問である。ちなみに今回の演奏会の主催者はその当時お呼びした客演指揮の先生だった)。