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深夜のブランコ

定期演奏会のチケットを渡すついでに、Kさんとラーメンを食べに行く約束をしていた。

 

いつものように北部キャンパスで待ち合わせて、とりあえず北へ向かう。どこへ行くかは約束の段階でとっくに決まっているか、でなければ何一つ考えていない。今日は後者なので、ある家系ラーメンのお店へ行った。受け取ったチケット代が、そのまま晩ご飯へ溶けていった。

 

Kさんと別れて、家路を南へと急ぐ。急ぐ、と言ってもそれは言葉の調子の都合で、実際はただ帰って寝るだけのスケジュールに急ぐも何もありはしない。

帰り道の途中に、ちいさな公園がある。住宅地に良くあるようなありふれた造りで、遊具にあしらわれた円鼻の新幹線だけが、作られた時代を物語っている。

誰もいない公園を独り占めしてみたいな、と思った。

 

自転車を停めて降りたったところで、一周しても3分とかからない。23歳児が利用することは想定されていないらしく、遊具の大半は、使おうにも乗ることさえ許されない。大人になるって、案外面白くないのかもしれない。

ブランコだけが、私を受け入れてくれた。深夜の人跡稀な公園で、いい大人がブランコをこいでいる。いや、むしろ誰もいないからこそ乗っていられるのだ。

義務教育だった頃を最後にブランコなんて乗ってないけど、この遊具は案外酔うらしい。揺れる運動の「ゆわーん」という感じがお腹のあたりに迫ってきて、折り返しのたびにゾワッとする。こんなんだったっけ?身体が大きくなった分、反動も大きくなったのか。ゆわーん、ゆよーん、ゆやゆよん、というオノマトペは、実に絶妙な言語感覚というほかない。

 

大人の遊具とかあったら面白いんじゃないか、と思ったけど、倫理的な問題を匂わせる響きがする。

 

カエサルのものはカエサルへ、子供の遊び場は子供たちへ。また明日やってくるだろう小さな支配者たちに公園をお返しして、大人な私は家路に就いたのだった。