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巡り逢いたい仇

浪人1「金は仇じゃ」

浪人2「げにも」

浪人1「ところで、久しく仇に巡り会わない」

 

落語の小話でこんなものがある。

偶然なことに、私も仇に巡り会わない。それどころか、「チケット代」とか「団費」などといい、仇のほうから私を避けていってしまう。堂々と向かってきてくれたらいいのに、困ったものである。なんならいっそ仇が恋しい。

 

金がなかろうとなんだろうと、人間食べなくては死んでしまう。こうなると「乏しい元手でいかほど食えるか」が日々の勝負となる。 

 

まず、外食などは論外である。冷静に考えれば、学食とてそう安いものではない。さらに我が大学の学食には「さして美味しくもない」という特色もある。高1のオープンキャンパスのおり、まだ改築前のルネで塩豚カルビ丼だかなんだかを食し、受験を思いとどまろうかと考えたことがあった。学生証のチャージ残高もおぼつかないとなれば、わざわざ学食の列に並ぶことはないわけだ。

 

まあ結局は自炊ということになるわけだが、ここで「購入先」と「食材選択」を誤ると元も子もない。 この街はとかく物価が高いので、ただ「近い」というだけで購入先を選んだり、「食べたい」というだけで食材を選ぶと、千の位に来てはいけない数字が並んでいたりする。一番安い葉物野菜に油揚げ、シメジときどき卵、というような食材が買い物かごの常連である。新しく出来たスーパーが学割をやっているので最近はそちらを利用しているのだが、肉に関しては前のスーパーのほうが安かったなあ、と最近は食肉コーナーが足遠くなった。

 

ただ、今回は買い出しに行くのも微妙な手持ちである。家に或るものを工夫しつつなんとか凌がなくてはならない。

その結果として編み出されたのが

「煮干しを魚として捉える」

という策だった。

要は、煮干しを油で炒って、焼き魚の要領でご飯のおかずにするのである。

本来ダシとして用いられるものが、一気に食卓の主役としてスターダムを駆け上がる。

小皿に盛られた簡素なそのビジュアルは、「タマのえさ」などとキャプションされていても全く違和感がない。

ただ、馬鹿にするなかれ。もとがダシ要因だけあって、味は美味しい。油で炒ったことにより僅かな身がふんわりと仕上がり、皮目には香ばしささえ感じられる。

ちょっとした冗談でやってみたことが見事に当たってしまい、誰よりもこの私が一番当惑している。

 

よほどの物好きであるなら、一度試してみてはいかがだろうか。