読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ガートルードの焼き肉

田舎者なので、都市や街を見るとき、自然と「ここは車社会かどうか」ということを考えている。地元である栃木は典型的な車社会だし、そうかと思えば大阪市などは、マイカーなどは持て余してしまいそうな雰囲気がある。

さて、ここ京都はどうかと言えば、いわゆる「碁盤の目」の中か外かで全く事情が変わってくる。レンタカーで市外からやってきた観光客は、市域の大渋滞に閉口させられることになるわけだ(自分たちがそれを助長しているとも知らずに)。

加えて、京都は(無駄に)学生が多い。本当に「学びに生きて」いるのは全体の1Ppmにも満たないが、ともかく、大学組織に籍を置いている人間が掃いて捨てるほどいる。彼らには金が無いので、基本的に移動は「自転車」と呼ばれる無限機関に頼ることになる。京都は学生の街であり、自転車の街でもある。

 

その自転車を、春先に壊してしまった。大きな修理なので代車を借りて過ごしていたのだが、いかんせん金が無いので、なかなか引き取ることが出来ずにいた。まとまった仕送りを得て、ようやく、修繕なった愛車を迎えに行くことになった。

 

愛車はいわゆるクロスバイクなのだが、代車で受け取ったのは典型的なママチャリである。しかも変速器も付いていないので、とにかく重い。荷物がたくさん積める上に重心が低くて操舵に安定感があるという長所もあるが、とにかく重い。自転車屋までの道が軽い登りになっているおかげで、2キロもない道のりなのに、体感としては天竺かエルサレムでも目指しているような塩梅だ。漕いでも漕いでも信号、寝ても覚めても静岡である。

ようやく岩のドーム、もとい自転車屋に到着し、業者の引き継ぎミスによる若干のトラブル(30分)の末、我が愛車を受け取る。帰りは下り坂、愛車は安物ながらアルミフレーム。軽いし早いと書くと碌でもない浮気男のようだが、停まるべきところも特に無ければ、危なくてよそ見をしているヒマとてない。あっという間に百万遍である。京都での生活は自転車の質が左右する、と言っても過言ではあるまい。

 

タイトルとなんの関係もない話を延々と、そう思う向きもあろう。

実は今日、オケの後輩と景気付けの焼き肉に行ってきて、香ばしい煙の臭いに包まれながらこれを書いている。換気装置がないタイプの古式ゆかしいお店なのだが、風呂に2回入っても一向に臭いが落ちない。時間以外に特に何も殺してはいないのだけれど。

タイトルには、そういう事情があるのである。