出がらしの煎茶はふるさとの味

「朝茶は一日の難逃れ」という言葉は、生活の作法として幼少の頃より仕込まれてきた。実際は朝食にトーストが出たりすると朝茶がホットコーヒーになったりするわけだが、それでも休日の朝は、たいてい食後に煎茶が出てくる。

 

朝日と共に就寝する生活が久しく、朝茶という健康的な文化もすっかり廃れていた。味噌汁の葱を刻む音で起床を促し食後に煎茶を出してくれる環境は、新幹線で4時間の彼方にしかない。隣室の目覚まし時計が、「1限の時間になります」「1限の時間です」「1限の時間でした」と1つのベル音で過去・現在・未来を完璧に表現している。さっさと語学を揃えたいなら、いっそ目覚まし時計に学生証を与えるべきなのかもしれない。

 

お勤め品のお茶っ葉を買い込んで、2煎目、3煎目…と繰り返す。多少淹れ方に気を遣ってはいるが、いつまでも煎茶でござい、とはどうしたっていかない。色ばっかり本物っぽくて、舌先に感じるものはだんだんそれらしさから遠ざかっていく。

 

別段貧乏でもないのだが、田舎のおおらかさなのか、祖母は1回の茶葉で何杯でもお茶を淹れていた。お茶の雰囲気を僅かに残した白湯を「出がらし」と呼ぶことを知ったのは、ずいぶんと大きくなってからのことである。

 

何煎目か分からぬ出がらしの味わいに、祖母はどうしているだろうか、とふと思った。「もうすぐお迎えが」と言い始めてすでに10年が経つが、朝茶のまじないでもうしばらく頑張ってもらいたい。

 

ふるさとが遠いと、でがらしの煎茶にも懐かしさを思うらしい。