rinshunn’s blog

京都、栃木、ときどき哲学。

悲しきイエスマン

お前のどこがイエスマンなんだ、基本何かと喧嘩してるじゃないか。早速そんな声が飛んできそうだ。

 

ところがどっこい、今日の私はまごうことなきイエスマンだった。何を言われても、何を聞かれても「はい」「はい」と応じるばかり。自分の意見を言おうにも、「いいえ」を言うことすらままならない。院試の面接のようである。

 

では、謙虚になったのか。それは来世を待たなくてはならない。残念なことだ。

 

正確に言えば、今日の私は"Ja"というばかりで、"Nein"を言おうとも何を聞かれているのかさっぱり分からなかった。私の口をふさいだもの、それは、なんのことはない「言葉の壁」だった。

 

留学生の後輩(良く分からない概念だが実際そうなんだからしょうがない)に誘われて、ドイツ語のおしゃべりサークルに参加してきた。

ドイツ語は日常的に接している(≠読める)わけだが、いかんせん相手にしているのが18世紀の小難しいおじさんである。道を尋ねることはおろか、自己紹介もできるか怪しい。それじゃ面白くない、と珍しく勇気を出して、知らない人の輪に飛び込んできたわけだ。

 

吉田南に集会所への通り抜け以外でやってきたのは久しぶりだ。実に2年ぶりである。泣きながら語学の単位を集め、教授に土下座しながらレポートを提出していたのがついこの間のことのようだ。この間のことなんだけど。

その間にもぐろおばる化推進の流れに従って、キャンパスの様子は大きく変わっていた。場所として指定されていたのが「国際高等教育院棟」という施設なのだが、なんとまあほぼ語学教育のために建てられたものだとか。それなら高校でもっと語学教育したらいいじゃん…とも思うのだが、今はそれはどうでもいい。血税をふんだんに使った、京大とは思えないオシャレで先進的な施設である。

 

その後輩がもちろんネイティブで、他の参加者は私と同じようにドイツ語会話を鍛えたいというような人だった。かたやこないだまでドイツに留学していて、かたや国のプログラムで今度ドイツ留学するというような顔ぶれ。文学研究科、圧倒的不利である。

 

一体何年ドイツ語をやっているのかと勉強不足を海よりも深く反省する一方、ただただ「ヤー」「ヤー」では芸がない。これではインコかチャゲアスである。知ってる表現と語彙でやったるわい…と開き直って、インチキなドイツ語を振り回してみた。カントが聞いたら第一批判でぶん殴ってきそうな暴挙だが、コミュニケーションは案外成り立つもんだ。いや、これでいいのかもしれない。よくはないか。

 

今度今日の顔ぶれでカラオケに行くことになりそうなので、それも楽しみにしている。

やはり言葉は「喋る」のが必要であると痛感した、修士1年の冬だった。