rinshunn’s blog

京都、栃木、ときどき哲学。

四半世紀のスケッチ

関東での説明会が中途半端に差し込んで、1週間ばかり帰省することにした。

 

 

午前中には京都を発つつもりだったのに、目が覚めてみると時計はとうに12時を過ぎていた。荷造りもままならぬのにテレビなどに気を取られて、駅へ向かったのは14時半ごろだった。

 

日曜の、しかも午後だ。この人混み、7年目になっても自然と眉間に皺が寄る。週末が終わり、観光客はそれぞれの日常へと指定席で戻っていく。思いつきのようにして田舎へ帰る学生に、割って入る隙があるだろうか。不安とめんどくささで、そのまま下宿へ引き返したくすらなる。予想に反して、窓口で手配されたのは20分後の列車だった。窓際ではありませんがよろしいですか?と言われたが、どうせ寝てしまうのだ。そんな贅沢は言わず、さっさと帰るに限る。

 

京都から名古屋が40分ほど、そこから新横浜までが1時間半あるかないか。検札が済めば、あとはネックピロー、アイマスク、耳栓の出番だ。上りは終点だから寝過ごす心配がないし、だいいち、7年も行き来しているおかげで、上りは小田原、下りは三河安城できっかり目が覚めることになっている。

 

東京は雨こそ降っていないらしいが、すがすがしいとはお世辞にも言えない。この街を目的地とする機会も増えてしまったが、やはり私には、乗り換えの数分でも十分すぎるように感じる。

 

父の車に拾われ、実家に着いたのは20時になろうかというころだった。リビングでゴロゴロしていたサリーが、しっぽをモフモフして出迎えてくれる。かわいい。これで帰省の目的の半分は終了している。

 

私の部屋はそのままにしてあるので、当然寝るのも自室のベッドということになる。いつまで経っても息子だなと思うが、実際息子なのだから今はどうしようもない。狭い部屋のうち2面半が書棚で、小さい頃に集めた車のカタログから参考書まで、品揃えは至って雑多だ。今でこそ親の言うところの「難しい本」ばかり読むようになったが、進学で地元を離れるまでは、むしろ小説やエッセイのたぐいを好んでいた。と言ってもラインナップは国語の便覧に出てくるような鉄板ばかりなので、「文学青年」などとはお世辞にも言えない。

 

何とはなしに北杜夫の『母の影』を手に取り、軽く目を通すつもりが1冊を読みふけってしまった。文体やリズムの作り方といい、やっぱり自分はこの人の影響をだいぶ受けているなと感じる。中学時代は、とにかく北杜夫遠藤周作をくりかえしまきかえし、何冊も読んでいた。物書きになろうか、と思ったこともある。結局そのような進路は歩まず、文体だけが昔のままで残っている。もっとも、読書量が多かった昔の方が、言葉の感覚はまだマシだったようにも感じるが。

 

自分の原点に思いがけず触れ直したら、文章を書いてみたくなった。図らずも今日は、私の25歳の誕生日でもある。遠くに来てしまったのか、あるいは余り変わっていないのか、いずれにせよ、文章を連ねる楽しさだけは、15歳の私と同じでいられるように感じる。

 

 

母の影 (新潮文庫)

母の影 (新潮文庫)

 

 

 

夜と霧の隅で (新潮文庫)

夜と霧の隅で (新潮文庫)

 

 

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