寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

雪夜の一人称

 いやに冷える夜更けだと思えば、音もなく雪になっている。なるほど、寒いはずだ。窓の外のいつもの景色に、ふいに東山魁夷が思い出される。見えているのは吉田山であって、鴨川ではないのだけれど。しかし、となれば、寝間着を着替え、ダウンジャケットを羽織りかけるほかはないのである。

 

 明日はバイトだし、この雪では普段より早めに家を出なければならないだろう。それでも、物好きで四半世紀を通してきたのだから、ほかにどうしようもない。およそ、生き馬の目を抜くビジネスの世界ではやっていけない人間だ。そう思うけれど、そんな人間だから京大に7年も居座ってしまったし、そんな人間だから4月からは新卒で寺子屋稼業だ。そう、そうだからこそ、こうなのである。

 

 深夜3時に雪でワクワクする人間はそういないとみえて、大路も小路も、私の足跡ばかりが転々と続く。大学に行けば雪だるまの一つや二つあるだろうか、と思っていたが、雪だるまどころか、雪遊びの気配すらない。煌々と点る自習室の灯りとグロッキーな人影に、今がテスト期間というものだったことを思い出す。幽霊院生には、試験も何にもないのである。

 

 百万遍はそれでも人の気配がして、交差点へ向かうほどに人にすれ違う。いけない、深夜の一人歩きに「他者」などあってはいけない。ましてやこんなに深い雪だ。一人称の世界こそ、雪夜の散歩にはふさわしい。

 

 目当てがあるわけでもなく、なんとなく北白川のほうへ足を向けてみる。見慣れた街のアラが、白とやわらかさのおかげで、つまらない交差点にすら、足を止めて見とれる何かがある。雪化粧、とはなかなか言い得て妙な表現らしい。マンホールのまわりだけが、がんばって普段通りのすっぴんで通している。人の営みのしぶとさ、そんなものを感じる気がしなくもない。

 

 以前にもこんなふうに、深夜に大雪になったことがあった。部活のスタッフ会議がテッペンを越えて(恐るべきことによくあることだった)、やっとこさ終わり外に出てみたら、なんの準備もないままに銀世界だった。深夜テンションにどか雪で、クタクタのはずなのに誰というでもなく雪合戦が始まっていた。終わってうちに帰る頃には寒さと冷たさに閉口したけれど、あの日の雪は、私たちの雪だったのだろうと思う。

 

 そういえば、あの日の雪にいたうちの2人から、先日結婚の報告が届いたのだった。あのころとウエストが違うので、このままでは着ていけるスーツがない、と気づいた。

 

 雪夜と言わず人影がと言わず、私はもっと歩かなければならないらしい。