寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

健全な思考への夜歩き

春先になる。じっと鏡を見る。

腹回りが大変なことになっている。

 

人間も動物なので、寒くなれば自然、それに対抗しようとする。

しかしアリストテレスによれば、人間は社会的動物である、という。

簡単に言うと、「ドラマのイケメンがみなスリムである」というそれだけの理由で、我々は自然の摂理に逆らうことを余儀なくされているということだ。

人間だもの、という逃げ口上は、人間だもの、という追い打ちによって、もろくも崩れ去るのである。

 

家の中でジッとしているだけで理想の姿になれるほどに、残念ながら今世紀の文明は成熟していない。

社会的に妥当な姿を得るためには、結局どうしたって身体を動かすほかにない。

家の中で運動する程度には文明が発展したものの、多くの場合そうした道具は(実家をはじめとして)、本来の用途以上に、物干しやオブジェとして活躍の機会を与えられている。

全体としての社会の発展は、個々の人間の進化を必ずしも導かないらしい。

 

収入はないが、時間はある。

そうした人々のために、散歩というものはある。

 

家からの散歩ルートは、大きく2通りある。

南に下がって平安神宮まで行くか、北に上がって哲学の道を踏破するか。今日みたいに運動がてら歩く日は、北ルートのほうが幾分歯ごたえがある。と言っても往復で6kmだから、ランニングなどを日課としている人からすれば、大したことはないのかもしれない。

 

志賀越道を伝って、途中で吉田山沿いに、今出川の1本裏の通りへ抜けていく。せわしさを避け、落ち着いた雰囲気のままに哲学の道の入り口にたどり着く、数年来お気に入りの道筋だ。

 

志賀越道というのは名前が示すとおり、このまま進んで行くと滋賀県へ連れて行かれる。起点は川端通り沿いにあるが、現在は東一条のあたりで京大の本部キャンパスにぶった切られている。このルートで使っているのは、ぶった切られた東側部分の一部である。途中に立派なお地蔵様があって、かつては道中の安全を見守っていたのだろう。かるーく会釈をして、先を急ぐ。

 

桜もなければ紅葉もないし、なんなら枯れ葉ひとつ梢には揺れていない。

何も無ければ、人もいないのが道理だ。

京都にあって、これ以上の贅沢はない。

 

哲学の道というからには、なにかこう厳粛な雰囲気が漂っているんだろう。そう思う人もいるかもしれないが、むしろ昼日中に行って、これほど思索に向かない場所はない。

哲学の道の北の起点は、銀閣への参道口でもある。銀閣の庭は残念なことにオールシーズン対応なので、季節を問わず観光客の往来が激しい。当然、それを当て込んだ商売もまた、たくましく軒を連ねている。それはそのまま哲学の道にもつながっており、白川疎水沿いにしばらくは、小物屋やおしゃれなカフェなどが鈴なりになっている。

たぶん、西田幾多郎が散歩しなければ、ここまでにはならなかっただろう。西田先生だって、だれもいなかったからここを選んだに違いない。

 

しかし、時計がもう明日になろうとしているなら、話は別だ。土産物屋はとうにのれんをしまい、行き交うといっても酔狂なカップルか猫くらいのものだ。人混みが苦手だから、ついつい夜歩きが癖になってしまった。

 

「◯◯寺まで…分」といった案内が、道辻のたびに現れる。このへんには、こぢんまりとしているがお庭の素敵な寺院がいくつもある。季節限定でしか拝観してなかったりするので、出不精な私は、学部生の頃に一度行ったきりになってしまった。次の拝観のころには、もう私は辺境の人となっている。

 

大豊神社の前を過ぎたあたりから、突然道幅が少し狭くなる。数歩先もおぼつかないなか、水音と森のざわめきだけが、まわりに何があるのかを教えてくれる。舗石の硬さを頼りにしばらく進むと、右手がひらけて、町並みのあかるさが遠目に飛び込んでくる。盆地のふちを進んできたのだ、ということに、あらためて気づかされる。気取らない夜景とともに、哲学の道の夜歩きは、折り返しを迎えることになる。

 

南の起点は、熊野若王子神社という、後白河院ゆかりの寺院の門前である。この神社の裏山へと進んで行くと、どういうわけか同志社の共同墓地があって、新島襄夫妻に挨拶することができる。そしてそれをさらに奥へと分け入っていくと、そのうちに下りになって、南禅寺の裏口に辿り着く。一度だけ好奇心から踏破したことがあるが、それなりの山道なので、お気に入りの靴で行くことはおすすめしない。

 

いったん西へ坂を下りて、鹿ヶ谷通りから南へさらに進むと、永観堂、そして南禅寺境内へと抜けていく。たまに気が向くと、南禅寺から岡崎公園へと回って、南まわりのルートを逆行して帰るなんてこともする。ただ、今回は素直に折り返して帰る道を選んだ。アップダウンのあるルートは、距離以上に心理的負担が大きいものである。

 

久しぶりの散歩で、心なしか身体が引き締まった、気がする。

 

今度は志賀越道を完全踏破してみようか。

誰を巻き添えにするか、今から楽しみで仕方ない。