寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

ハンドルをにぎれば

相手の本性を知りたいのなら、ドライブに誘うに限る。

ハンドルを握るその立ち居振る舞いに、その人のすべてが現れるからだ。

 

 

京都で取得し栃木で磨かれた私のハンドルさばきは、それぞれの薫陶を受けたたいへん穏当なものである。交差点の5m以内では絶対に路上駐車をしないし、信号が青に変わるやいなやアクセルを踏み込むこともない。雪が降って路面が凍っていれば、どれほどほかのドライバーが疲れていようと運転を拒否する。そのおかげで、ようやくこのあいだの更新で免許がゴールドになった。

 

ただし、世の中の人間すべてが良識に富んでいるわけではない。世の中は、私のゴールド免許を剥奪しようとする悪意に満ちている。オービスねずみ取りなどはその良い例である。そして、こうした公権力からの圧力に加え、ボランティアとして私の心の平安を乱しにかかる輩が一定数存在する。

 

「自分がくたびれる」という理由で、たいていドライブを企画するときには免許持ちを何人か連れて行く。しかしどういうわけだか、「様子のおかしい」ドライバーに遭遇するのは、決まって私がハンドルを握っているときなのだ。

 

「車間をやたらと詰めてくるハイエース」「高速の追い越しを信じられないスピードで突っ走っていく高級車」「プリウス」など、このへんはもはや序の口である。「車線変更でウィンカーを出さない」なども、阪神高速や国道新4号バイパスなどに行けば、いくらでもお目にかかることができる。

やたらと飛ばすのであったり、荒い運転をするのであったりするなら、むしろまだやりやすい。運転マナーの悪い道には、たいてい別ルートが存在するからだ。問題は、田舎の下道である。「様子のおかしい」ヤツは、むしろこういうところにたくさんいる(と個人的には感じる)。

 

田舎の下道の怖さは、おかしなヤツに遭遇しても「逃げ場がない」ところだろう。後ろに付かれても前を走っていても、対面通行で黄色のラインだったりするともうお手上げだ。ひたすら自分が曲がるか、相手が曲がるかを待つしかない。

 

このあいだ能登半島を走っていたときの話だ。

ナビの導くままに幹線道路を走っていると、前方にイヤな予感のするクルマが見えている。

型落ちの軽自動車で、車線の取り方もどこかおぼつかない。さらによくないことに、どんどん車間が詰まってしまっている。ここは幹線道路ではあるけれど、先ほどから対面方向区間に突入している。黄色いセンターラインを超える勇気はないし、そもそも持つべきでもない。後方を見つつスピードを落として、落としていって、ようやく車間が落ち着いたころに、スピードメーターを見る。

制限速度80km/hの道を、65km/hで走っている。

 

軽自動車の向こうに、しばらくクルマの影はない。山間の見通しの利かない線形なので、後方のクルマには、軽自動車の姿が見えない。つまり彼らにとっては、私こそが「様子のおかしい」ヤツである。

不本意な殺意が、私の後ろに列をなしている。私の敵意は、軽自動車になにひとつ届いていない。

 

人間としての度量が大きいので、パッシングもしなければクラクションを鳴らすこともない。ただひたすらハンドルを握りながら、前のクルマが消えるまでボヤいたり舌打ちをしたりするだけだ。車内の空気が、次第に悪くなっていく。同乗者たちも軽自動車にイライラし始めているようである。本当にチンタラ走るクルマには困ったものだ。あと10分複線期間に突入するのが遅れていたら、きっと私は彼らに強いられて、前のクルマにビタ付けしていたことだろう。

 

安全安心の楽しいドライブには、気苦労が尽きないものである。