寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

くにへかえる

自分に対するはっきりとした、ただしそれだけでしかないふわふわとした自信を顔にみなぎらせて、ハイティーンの子らがキャンパスをバス停やタクシーの列へと歩み去っていく。その少し後ろを、わが子の価値を信じて疑わない大人が、距離をはかりかねるようにしてついていく。

京大の二次試験が、ちょうど終わったところらしい。

 

 

8年住んだアパートも、もうあと数日で引き払わなければならない。書き物机やベッド、アルミラックと、処分したそのぶんだけ、慣れない広さが大きくなっていく。

近所の物件にも、さっそく内覧が入っているらしい。アメリカのシットコムを垂れ流しながら片づけを進める向こうから、部屋の説明と相槌の声が漏れ伝わってくる。この部屋も来月には、また誰かの生活で満たされていくのだろう。それならばもう少しきれいに使えばよかったな、と、台所の油汚れを眺めながらほんのり後悔する。

 

洗濯機がなくなり冷蔵庫がなくなり、文字通り何も無い部屋で夜を明かすのがつらくなってきた。市内のホテルをおさえて、もうこれ以上、あそこが自分の生活の舞台になることはない。

 

ワンルームのありふれた部屋が、パーティールームになったり、会議室になったり、あるいは修羅場になったりもした。大学にほど近いこの家で、いったいいままで何人を迎えたことだろう。その知人の多くが京都を去り、ここ数年は来客もまれになった。そしてとうとう、今度は私もここを出ていく。

 

「なんだかんだ、Sさんは京都に戻ってくると思うよ」

先日飲みに誘ってくれた元同僚が、帰りがけに私に向けてこんなことを言った。

 

18年住んだ街と部屋に、8年分の書籍と経験をたずさえて戻ってきた。

京都はすでに過去のこととなりつつあるが、住んでみれば確かにここが都になるのかもしれない。