葵祭がすぎた頃から、盆地の風に少しずつ見通しの悪さが混じってくる。生暖かさが夜に及びだしたら、街中が祇園祭のコンチキチンにつつまれるまではそう遠くない。
それでも、半袖で通すのにはまだ気が早い。窓を開けていさえすれば、エアコンの電気代に頭を悩ますことなく熟睡することができる。とはいえ、これもそう長くはないのだけど。
授業を終えると、簡単な報告書をまとめることになっている。ここは京都市の真ん真ん中、いわゆるオフィス街の一角。縦横のメインストリートが交差し、市バスとタクシー、そして事情を知らないレンタカーで忙しい。こういった場所では、法螺貝の音や御神輿のかけ声などは聞こえないことになっている。コンビニにコーヒーを買いに行っても、山伏の一群が目の前を通り過ぎていったりはしない。ビジネス街とはそういうものだ。1週間前まではそう思っていた。
月例のミーティングで、宵山の交通規制が話題になる。この街では、人間の都合にイベントが合わせるのではない。イベントの日程は、数百年前からカレンダーに記載されているのだ。こちらも大人なら、先約を重んじなければならない。
仕事から帰って夜更かしをして、寝て起きたら日曜もすでに午後の3時をまわっている。
銀行の口座に、今までにない額が振り込まれていた。友人たちに、いったい何年遅れたことだろう。生計という観点から、とうとう実家と自分が切り離されてしまった。
2年目になって住民税に苦しむ、という話をよく耳にする。計算してみると、なるほどこれは大きな額だ。1ヶ月分あれば、実家に何か贈ってやれる。
関東の端っこでは、京都のイメージはテレビに映るものがすべてだ。こないだテレビでやってたあの店に入ったことがあるか、あそこの寺はどうだ、と、帰るたびに飽きもせず同じことを訊ねている。息子が行きつけの店でばかりメシを食う家庭で育った、ということを、この親は忘れているらしい。「佐々木酒造の聚楽第」、「焼肉の天壇」、どちらも学生の手には届かないというのに。
日曜午後の伊勢丹は、標準語と中国語が支配している。8年住んでいてもこの一群に伍するほかない私は、やはりただ法的に市民であるにすぎないらしい。
緑色のお茶菓子、漬け物、その一角にビンの立ち並ぶエリアがある。「佐々木酒造の聚楽第」、母の言葉でしか知らなかったものが、今目の前にある。
「これいただけますか」
斜め後ろで様子をうかがっていた店員が、手際よくレジへと案内する。
「プレゼント配送をお願いしたいのですが」
宅急便の送り状を書かせてもらいながら、事務机のペンスタンドが目に留まる。コンビニにあるような、安い筆ペンがあった。
「それ貸してください、あと便箋」
かすれかけた墨汁で、裏紙のような便箋に一気に書き上げる。
「これはっつけといてください」
カードの残高は、どうやらまだ間に合っている。事は済んだ。
自分にも子供が出来て、もしかしたら遠い土地で社会人となるのかもしれない。
働き出してしばらく経ったある日、なんの前触れもなく
「初任給」
と、ただそれだけ書かれたメモを添えた日本酒が届いたとしたら。
そればかりは、親になってみなければ分からない。