寺子屋稼業のかたわらで

京都、ときどき栃木。

生きること、死ぬこととのあいだに

 急性咽頭炎からの高熱で、1週間近くを布団の中でふいにしてしまった。

 

 残念ながら、私には良くあることだ。大丈夫かな、と喉の違和感を抱えながら授業をして、週末終わりかけの頃に、一気に症状がやってくる。月曜の朝には、9度近い高熱を引きずりながら、歩いて5分の町医者に文字通り這々の体で向かうことになる。

 住宅街の一角にある病院は、待合室もそう広いものではない。じいさんばあさんがなごやかに歓談し、備え付けられたテレビは、朝のワイドショーで家事の裏技などを黄色い声で紹介している。診察室からは、先客が医者相手に楽しくおしゃべりしているのが漏れ聞こえてくる。ただただ、いらだたしい。今この瞬間はすべてが自分に最適化されているべきなのに、なぜあの患者はまだ診察室から出てこないのか。このコメンテーターは何が面白くてこんなに笑っているのか。すべてが理不尽だ。何ら理屈の通らない不満が、もうろうとした頭を余計に熱くする。

 

 診察室に通されれば、あとは決まったやりとりが待っている。

 

「どうしましたか」

「喉が痛くて……あと熱が……」

「また咽頭炎ですね、抗生物質出しておきますね」

「たびたびすいません」

「いえいえ、お大事に」

 

 また家までの道を頭痛に唸りながら戻り、冷蔵庫にある比較的消化に良いものを食べ、薬を飲み……そしてあとは、恢復するまでひたすら横になる。いや、なるしかない。もし薬が切れても治っていなければ、またはじめから同じことの繰り返し。そして、最近は繰り返しに入ることが多くなった。

 

 

 「自分は50代で死ぬ」と思い始めたのは、いつのころからだったろうか。別に自殺願望があるわけでもないが、あるごく自然な感覚として、ここ数年来ずっと抱きつづけている。

 昔から運動神経が今ひとつで、体力にもさほど自信が無かった。特に病弱というたちでもなかったが、学部を終えたあたりからだろうか、体調を崩す機会が急に増えた。もちろん、その頃から定期的になんらかのストレスに晒され始めたという事情もあるのだろう。けれど、自分が何をするにせよ、体力、そして体調を気にするようになったのは確かである。むしろ、それまでは気力で、ある程度どうにかまわしていたのかもしれない。だから学部までの頃は、人間として本当に余裕がなかったと今になって思う。それでいろいろ申し訳ないこともした。「人生には余力がないければいけない」というのは、その反省も大きいような気もする。

 

 今でこんなんだったら、自分はあとどのくらい生きられるんだろう。白川疎水沿いの夜道は、こんなことをぼんやり考えるのにふさわしい環境だった。月明かりは足もとを照らすには遠く、ザワザワという音だけが、向こうに森があることを教えてくれる。秋だったか春だったか、たぶん夏ではないと思うのだけれど、ひとり歩きながら、誰に聞かせるでもないことを考えていたものだった。100まで生きる、とは到底思えない。さりとて、30くらいはさすがに無事に通過するだろう。とすると、60前後がいいところか……いや、年金をもらえる前には死んでるような気がする。そうなると、だいたい50くらいか……。悲観するでもなく、妙にしっくり来る数字だった。

 そういうわけで、「50歳ちょっと」というのが、人生の残り時間を考える目安になっている。

 

 残り時間を考える、といっても、そう何かしたいことがあるわけでもない。むしろ「自分は100まで生きる」と信じて疑わない人たちのほうが、レジャーやアクティビティについては盛んであるようにも思う。正直そういうエネルギーやある種の野心が羨ましくもあるが、残念ながら、そうしたものは持ち合わせずに産まれてきてしまった。脱線して、これからどうなるのか分からない。

 

 自分に何ができるんだろう。この数日間、高熱と頭痛、そしておさまらぬ喉の痛みにうなされながら、ほぼ反語とも取れる問いと向き合わざるを得なかった。昔は官僚や政治家になろうなんて思っていたこともあったけれど(もとは法学部志望だった)、このていたらくでは、いずれも到底つとまるまい。もとい、適性も能力もおよそ届きはしないが。

 

 テレビでは、トルコ軍のクルド人勢力侵攻のニュースが流れている。健康なのに突然命が奪われている人がいる、高熱で動けなくても生きている自分がいる。そしてこれはたぶん共時的な事態だ。どういうことなのだろう。

 「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。」志賀直哉は、『城の崎にて』でこう綴っている。いろいろな解釈があって、そしてどこかの定期テストで傍線が引かれて、記述問題になっていたりもするんだろう。

 しかし、ここの解釈はそのへんの高校教師に語りきれるほど簡単でもなく、そして、あまりにも単純なのではないかと最近思っている。つまり、生と死とが両極ではないのは、それらが一箇の事実だという、ただそれだけのことだ。

 死んだ蜂、死にかけた鼠、殺してしまったイモリ、そして、生きている自分。すべてはただ事実としてそうであって、そこへ色づけをしているのは、ながめている主体の意識だ。だから彼は、「只頭だけが勝手に動く」気分になった。生死が等価になった途端、立ちあらわれたのは自分の意識の次元だったわけだ。

 ニュースを見ながら熱にうなされている、ということは、ただの事実でしかない。そして、私の意識はエルドアンでもなければ、トランプでもない。だから、その事実にただ対峙するしかない。証明終わり。でも、結局自分がこれからどうするのかには、どうにも答えが出ない。ひとつ言えるのは、バリバリ稼いで社会的地位と名声を得るようなことだけはないということだ。

 

 生死が事実でしかないのであれば、とりあえず私は、自分の死が50代に訪れるということを、ひとつの事実としてなんとなくとらえていればそれでいい。となると、残すところはあと30年ほど。どうやって使おうか。行けなかった場所、会えなかった人、言えなかった一言……めずらしくやってみたいと思うことは、すべてどうしたらいいのかよくわからないものばかりだった。